人気ブログランキング | 話題のタグを見る

After that "Quick Summary(for myself)" ①

前回、「変わりたい」「ちょっと変えてみよう」と書いた。
具体的に自分はどう「変わりたい」のだろう。
わかってないと、変えようがないよね。

一言でいえば、常にリラックスしていたい、無駄な力を使いたくない。
自分に、状況に、振り回されたくない。
そういう心の状態を自分で好きな時に作れるようになりたい。
たとえば時間を割いて、鍼打ってきましたとか踊ってきました、そして今リラックスできてます、じゃあなくて。常に、何が起こっても。

アマチュアとはいえ、趣味でやってるとはいえ、また音楽活動を始めます、人前で歌を披露します、このツラ晒します、となると、否が応でも自分自身と深く向き合うことになる。
曖昧なままにしていた個所、埃がたまっているけど見えないふりをしていた部屋の隅にまで目が届いてしまう。
それが「本気でやる」ってことだと思う。

それに、「自分も音楽を作る・演るヒト」として、音楽だけでなく、色んな芸術、思想にたくさん触れたいと思うし、触れれば何かを感じる。(音楽から「逃げて」いた時期は、あまりCD等も聴いていなかった。)
特に最近感じることは、他の人のライブを聴きに行くと、無意識に自分の立ち位置を確認しているというか、演奏している人が自分からどのくらいの距離にいるのか3Dで目測しているような気がする。つまり、何を観ても聴いても、他人事じゃないってこと。目測した上で、あ、まったく興味ないな、と判断した時点で他人事になるのだろうが。

けっこう疲れますわな、そういうの。楽しいけど。生きてる!ってかんじはするけど。
自分を常に意識してるってことだからね、、、「あたしはこう、あの人とは行きたい場所がちょっと違うね」とか「あの人スゲー、ワタシしょぼい、、」とか、度が過ぎると健康を害しそうだ。

ちょっと長くなるけれど、過去の話をします。

私は18~19歳の頃から4年ほど東京に住んでいて、その頃はシンガーソングライターとしてプロになりたいと思っていた。
その後まあ色々あって、精神的にも限界が来て、実家の事情とかもあって、故郷の和歌山市に帰った。
その時、私は必要を感じて「変わろう」として、実際、家族が驚くくらい「変わった」。

どう変わったかというと、「つねにハッピー」であり、そのために「ちょっとレイジー」。
(厳密にはもちろん、常にハッピーとかありえないんだけど)
音楽も、プロになるというチョー厳しい目標から解放され(つまりは諦めて)、ブラジル音楽(特にMPB)にも挑戦しはじめて、演ってみたらこれはこれはハッピーになれる音楽で、バンドを作って「仲間」ができたら人前にでるのも怖くないしリハーサルも楽しかった。
家族と一緒に住んで、朝早く出て夕餉前に帰れる職にも就いて、バランスのとれたイイ生活だった。

でも、「これでいいのだ(byバカボンパパ)」と、自分で言い聞かせていた、という点は無視できない。
音楽に対して、「100%本気」じゃないってこと、あえて本気を出しつくさない、興味があっても(銭も足りないので)ブラジル音楽に対してもあまり開拓していかない、そんな自分がちょっと嫌で、一方、それが私が学んだ私の器に見合った生き方なんだ、とも考えていた。

バンド(歌ギターの私と、あとドラマーのにーちゃんと、べーシストのおっちゃんのトリオ)も、基本は楽しくやることを優先して、演奏の向上にカリカリしない。疲れると嫌になるので、隣の大阪までライブしに行こうと思えば出来たけど、和歌山から一歩も出ない。「楽しいからやってんすよ、自分コレで満足っすよ」と井の中の蛙に甘んじていたし、まあ井の中だから安心してブラジル音楽なんて大それたことに挑戦できた、それも楽しみつつ、という点も否めない。

精神活動?的にも、「思いつめない」ことを優先して、それは色んな面で効を奏したのだけど、なんというか、「自分の脳ミソのある部分を自分で蓋しているんだ、もしくはネジを緩めているんだ」という感覚は、すこし不快な感覚はいつもあった。
ぬるい井の中に浸かっている自分がとてもハッピーで家族も安心してくれる?ということは凄くイイことなんだけど、心のどこかで自分の過去を否定し、「音楽で飯食ってくんじゃ!」と息巻いていた若かりし自分を恥じて、夢を諦めた自分を褒めつつ卑下しつつ、私みたいに勝手な生き方を選択せず我慢して学校生活を送り大学まで出てリッパな職に就いている元同級生達に対して「私は負けました、力およびませんでした、その報いでこんな続けていても給料の上がらない仕事にしか就けません、でもいいの、楽しく音楽やってりゃ、私はハッピーで和歌山のセッションバーで飲んだくれのオッサンらと口論している生き方を今は選んでいます」と心の中で言ってた。

いうなれば「条件付きハッピー」。

…その後、私は電撃的に結婚して和歌山を離れて海外に移住したため、バンドは解散、また別の生活が始まり、音楽から離れた5年間を過ごすことになるのだが…

ここでまた、音楽活動を始める、この東京で、となると、和歌山にいた頃と同じアティチュードではいられない、と今は思う。
こんな刺激的な都市で、心意気が蛙のままでは、もったいないっていうか…

…この文章で私の言わんとしていることが伝わるのか、正直自信がなくなってきたんだけど、
話を過去から元に戻すと、

「リラックス」して「ハッピー」でありたいんだけど、
以前、故郷にいたころのような方法で、頭のネジを一本緩めて「レイジー」でいることで「ハッピー」を得たくない、
せっかく夫のおかげで東京に住めるのだから、今度は「本気」(本気と書いてマジと読む)でやりたい、
と思っていて、
「本気」になると、それだけ苦しみそうだ、
それでも、何かのテクニックを使って、「リラックス&ハッピー」状態を得たい、
と考えている、という話でした。

長い…、わかりにくい…。

この「何かのテクニックを使って、「リラックス&ハッピー」状態を得たい、」という欲求が、
前回の記事で触れたワークショップ「徳久ウィリアム&たむらひろし の”快楽”ボイストレーニングゼミ」の受講動機の一つであるんだけど、

この先の話は長くなるのでまた次回!
by agatha2222 | 2013-01-20 22:45 | Other | Trackback | Comments(0)


<< 初ライブの朝に思うこと Quick Summary (... >>