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Project "I.F.O." ③回顧録のつづき

"I.F.O."って、ジョン・レノンのファーストソロアルバムに入ってる曲"I Found Out"からとったのね。U.F.O.ともA.F.O.(by坂田師匠)とも関係ないのよ。

回顧録のつづき、ね。
昼休みにしれっとブログ更新して、少しずつ自分の中で整理をつけていきたくてね。
あと、先日の「ひとり興行はじめ」(ライブ)の後に「いつから演ってるの?」と興味をもって尋ねてくれた人がいるので、昔の自分のことを書きたくてね。
いや、誰に訊かれなくても、書きたいんだよね、本当は。

そう、ビートルズとの出会いが私の人生を変えたのです。(狂わせた?)
作詞作曲編曲して、音楽以外のアートともコラボして、なんか、すっごいクリエイティブなことがしたい!と純粋に思ってしまった。
それ以外に面白そうな「進路」なんてない、と思った。

この出会いの前から、クラシックとか90'sUKロックとか音楽は聴いてたけど、自分でCDを買って、というわけでわなかったし、楽器もなんとなく遊んでいるというかんじで、もう先生について「習う」のはコリゴリだと思ってたし、まさか、まさか音楽家になりたいと今さら(って今から考えればまだ子供なんだけど)考えるなんて、、自分でも驚いた。でも、もうそうなっちゃったんだから仕方がない。

とりあえず、曲を書くには録音する機材みたいなものがいる。
友達のお兄ちゃんがバンドでキーボードやってて、世の中には多重録音機能のついたシンセサイザーなるものがあることを教えてもらい、お年玉を貯め続けてきた貯金で買う。クラシック曲の出来損ないみたいなのを作り始める。

ギターも、ちゃんと弾けなきゃな、と考えて、アイバニーズの安いエレキを買う。
クラスの男の子が習いに行ってるというヤマハの先生とこにとりあえず通う。
(が、自分が浮いてると感じて、あとなんか求めているものと違って、あとそこを紹介してくれた男の子のことを好きになって付き合って振られて居づらくなって、一年足らずで止める。)

あたしにはエレキじゃないな、アコギだな、と気づき、これまた安いアコギを買う。
テープレコーダーで簡単な弾き語りの唄を録音したり。

もう頭の中は忙しい。それが中心になっていった。
でも学校生活には試験もあるし、宿題もあるし、ちょーうぜぇ「進路指導」もある。

私が在籍していた学校は、いわゆる田舎の中途半端なレベルの中高一貫の進学校で、中途半端なレベルなだけにおそらく教師側も必死で生徒に「求めて」「押し付けて」くる。
やっと中学生になった!と思ったら一年くらいでもう、将来何になりたいの?そのためにどこの大学のどこの学部に行くの?と尋ねられる。
んなこと解るわけないやん...
何かに決めて、そのために頑張りなさい、と言われるから、とりあえず無理やり「何か」の目標を決めるんだけど(音楽家に、ソングライターになりたいという夢以外に)、本当に自分が願っていることじゃない、ってか、世の中のことなんてまだ何もわからない、どんな職業が存在して実際その仕事はどんなものなのか、誰も教えに来てはくれない、そんなもろい「目標」に向かって、これから何年も定期試験のために頑張り続けるとか、無理、イヤになってしまった。
もう「頑張りません」と決めたら、全くやらない、「勝ちに行く」つもりがない戦(試験)なら、不戦敗がいい、ということで堂々と赤点をたたき出す…。

それに田舎には、学校以外で逃げるところもあまり、ない。
遊ぶところがない。
だから自分の部屋にこもって、自分がやりたいことばかりやるようになった。

クラスメイトとも話が合わなくなってきた。
同じようなことをしている友達が欲しかった。
いや、私は何も変わってなかったのよ、、小学生のころから、、よくあるでしょ、友達と替え歌作って歌ったりしてしょうもないことではしゃぐ、、という、、
そういうことが、「思春期」に入っても私にとっては大事な「発散」で、
以前の記事に書いた、ビートルズ赤盤・青盤を貸してくれた凶暴な友達と二人で、学校の更衣室や廊下で「わたしジョンとジョージのとこ歌うわ、あんたポールな、カモンカモーン♪」とか歌って遊んでいたんだけど、
中3だか高1くらいに上がるとその凶暴な友達は体調不良で学校に来なくなり、
他の友達は「プリクラ交換」「ポケベル」「(高校からこの学校に入ってきた)どこどこの男の子がかっこいい」とかいう話ばかりしていて、
はては仲の良かった友達から「高等部の子たちが(つまり中学から一緒じゃない知り合いじゃない子)あんたのこと、いつも歌うたってて変人やゆうてるで、そういうのやめたら?」と言われ、
あーもう、ここに私の居場所はないな、さっさと辞めちまいたい、と思い始めた。

とても孤独だった。
三歳上の姉が、大学受験で忙しくなって、さらに大学入学して実家を出てからは特に、話し相手も居なくなり、どんどん内省的になっていった。
今みたいにインターネットでコミュニティに入って、ということも出来ないので、某音楽雑誌の「募集欄」に投稿して友達を募ってみて、手紙が届いたりしたけれど、
やっぱり全く知らない人にまだ一応JC(女子中学生)の私が独りで合いに行くのは怖すぎるし(それは正しい感覚だと今でも思う)、結局誰ともつながらず、、、

そんな折、公文かなんかのテレビCMで、かのポール・マッカートニーが自身の母校をパフォーミング・アーツ(ポピュラー音楽含む)の大学として開校、学長に就任したということを知る。
そして、某音楽雑誌の広告欄に、その大学の「サマーコース」参加ツアーを見つける。
16歳から参加可能…ちょうど高1の夏には16歳になってる、、行きたい、、ダメもとで資料請求し、親に掛け合ってみたら、なんと行かせてくれた。
登校拒否気味になって塞いでいる私が自発的にここに行きたい、ここに希望がある、というのなら、ということだったのだと思う。

独りで和歌山から大阪までも行ったことがない、
いや、もっと言うなら独りで電車に乗ったこともない(いつも誰かと一緒、誰かについていくという人任せな性格)、
そして最寄のバス停から家に帰るまでに道に迷ってしまったことがあるほどの方向音痴の私が初めて、独りでイギリスに、リヴァプールに向かいました、高校一年の夏休み。

広い世界を観ました。
(いや、本当は、そこよりも、もっともっと世界は広いのだが)

…去年の年末に帰郷した際、納屋替わりにしていた死んだ爺さんのボロい家に置いていた、自分の荷物の仕分けをして、自分にとって大切なものをすべて東京に送ったんだけど、その中にそん時の日記があった。とても懐かしい。

リヴァプールに飛んだところで、今日は〆ます。
こんな昔話、読んでくれる人、本当にありがとう。

(つづく)
by agatha2222 | 2013-01-28 14:03 | Project Beatlish | Trackback | Comments(0)
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