グダグダとクダを巻きつつ絡まった毛糸玉をほどいていく、的な

考え事の中であれ 具体的な「作品」への取り組み過程であれ
ただの興味本位であれ 恋する「誰か」であれ
何か、を追いかけ続けてていると
フッと全てがどうでもよくなることが、たまにある。

よくある話だとは思う。

全てがどうでもよくなる時は、
たいてい疲れている時なんだけど。

これに何の意味があるというの?
何の意味もないから止めてしまおう、
いや、別に意味なんて何の中にもないですよ、
ただ自分が好きだから、やりたいからやってんでしょ?
やりたくないときは放置プレーしとけばいい。

追いかけるのは疲れるし、辛いから止めちゃおうと決めてしまうと、
ラクだけど退屈ですよ、楽しいのラクじゃなくて「自堕落」のラクね、むしろ。

要は、バランスかと。

どのように生きるのか
自分がどう、動くのか
静止した回答というものは、無い、
だから どちらかのサイドに留まろうとしなくてもいい、かと。

"a human body, it never achieves stillness
it's constantly in motion
even when it's still, the body continues to breathe
even after death, the body continues to be decomposed"

(訳:ヒトの身体は完全に静止することはなく、常に動いている。
動くことをやめても、呼吸が止まることはない。
死んだ後も、身体は分解され続ける)
...以上、Akram Khanによるテクスト

さてしかし、

追いかけているこのワタシは「自分」
膨らませている「自分」
「自分」と「欲」は似ているなあと最近、思った。
欲深くなると、文字通り窒息しそうに苦しい。
あれもこれも、ってねぇ、重いよ、おなか一杯よ、アタマ痛いよ、ってねぇ。
でも、じゃあ可能な限り「欲」を手放して仙人目指してみるか?
と逆サイドに立ってみると、
そういう「幸福の追求方法」もアリかとは思うけど、
ワタシはごめんだなぁと、、

だから、その間でいいのですよ。
"in between space"
漂い続けていればいいのですよ、きっと。

などなどと、

こんなことを書き連ねていると、
「恥ズイなぁ」と思う部分もあり、
しかし「恥ズイからやんぴ」という判断は、
すぐ「抑圧」につながるんだって、過去に何度も学んだので、
だから
葛藤はあってもいいけど、
「恥ズイからやんぴ」は、なし。
これは、Fixed、I pinned it down、
とりあえずの間は「静止させた」ルール。ワタシの、ルール。

このように、
ゴチャゴチャと考えて、溺れそうな気持ちになったりしても、
このように、「恥」と引き換えに書き出してしまえば、
もう「当たり前の事柄」になって、
ゴチャゴチャとアタマを乱す必要もないのかな、と、
だから、解いて、出していくことは今のワタシのためになっている。

まあ、また迷うだろうけど。
never achieve stillness

さてしかし(パートトゥー)、

こんなことをゴチャゴチャ言っていられること自体が、恵まれていて、
色んな状況で「生命の危機」に瀕していたら、
ただ動物的に生きるためだけに、集中してアタマと身体を、エネルギーを使うでしょう。
今この瞬間、ワタシの周りは平和だ、ということです。
世界中で何が起こっていて、
目に見えない形で自分や自分の大事な人の身体が日々毒され続けているとて、
今ここは平和なのです。

「生命の危機」といえば、
死んだ後のことは、ワタシはよくわからないし、
見てきたようなことを言う人の話も、あまり信じられないのだけど、
死ぬまで生きた人(先輩)達のことは自分で見てきたから、
仕方なく死ぬまでは、漂い続けて、惜しみなく、生きたいなぁというのが、
今日時点での結論。

ああ、なんという論理?の飛躍よ。
バタバタバタバタッ
白鳥のはばたき。
論理のはばたき。
by agatha2222 | 2013-03-15 16:41 | Other | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://agatha2222.exblog.jp/tb/19947378
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< うたえやおどれや honeymoon is over? >>