言葉で「感じ」を伝えること(=自己表現?)ができるようになる以前の、幼い子供のフラストレーションはこういう感じかもしれない、と思う今日この頃。
色々と考えているのですが(いつも同じようなこと言ってますが)、簡単にはまとめられず。 でも少しずつ、考察の軌跡を残していきたいな、という思いもあり。 真面目な話です。 何かしらの形で表現するにあたって、 「恥ズイからやんぴ、は無し」と以前、ココに書いたものの、 「恥ズイ」以上に「ヤバイ」かもしれないから、書かない方がいいんじゃないか、とも思ったり。 「ヤバイ」って何が? ドン引きされるリスクが。 それでも公開ブログとして書くのは、 自分が発信した何かを受けて、同じ時を生きる誰かが何かを感じたり考えたり、 共通点を見つけたり、それで心が動いたり、 何かに興味を持ったり、 そういうこともホントにあるのだな、と最近嬉しさと供に実感することもあり、 また、 ワタシ自身が、誰かが発信したことから(対面で、文章で、映像で、、)触発されたり、 自分の中に眠っていた思いを引き出して、 行動が、思考が動いていく、変化していく、ということが、多々あるから。 影響しあって、動く。 この時を、共に、生きる。 あたかも、複数のダンサーが絡み合って踊る様子や、複数のミュージシャンが織りなす即興演奏のような、 そんな醍醐味を、どんな小さな規模でもいいから、味わってみたいという思いがあるのです。 長いな、前置き。。。 この調子じゃ、タイトルにある「愛と死」に辿り着くまで、数か月?かかりそうですが、 (ウディ・アレン映画のタイトルみたいだけど) 振り返ってみれば、「愛」と「死」とは、子供の頃からずっと、私の中にあったテーマだなぁと、思うのです。 テーマが同じでも、もちろんそれに対する考えは、変わり続けてきたのですが。 「死」といえば、 私たちの殆どは、「生まれてくる」または「生まれる前の」記憶がないので、気が付いたら「生きてた」、始まりから、ずっと、「生きてる」、「生きてる」ことが当たり前、 なので、何時か向かう「死」に対しては、人生最大のイベント、くらいに思ってしまうのは、当然かと。 ワタシが思うには、「死」そのものは当たり前に誰しもに訪れるものなので、(死なずに生き続けるとしたらむしろ困る)悪いことでも良いことでもないし、正直、悲しいことだとも思わない。 寂しさはあるかもしれないが。 (ホントかな?強がりいってるだけかな??) ただ、「死」の前後には、周囲には、「苦しみ」がまとわりつくことが多いので、 誰かの苦しみを思うと、苦しい。 重苦しい話になってきたので、「死」の話はとりあえずここまで。 つづく。
by agatha2222
| 2013-03-22 00:33
| Project Beatlish
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by あがさ カテゴリ
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