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考察というほどでもないけど② ただいま、インディア

「第三次インドブーム到来」とココに二度ほど書いたのですが、
今、キテるんですよ、インドが。
きっと、ワタシに今、必要な知恵が、インド(といっても広いけど)からおいでおいで~と手を振っているのですよ。

具体的には、リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド等の文献(中学の歴史の教科書に出てきたよね、これくらいならワタシも習った!)を元にした?インド哲学、

そして複雑怪奇に思われるが実はスッキリ美しい、インド音楽、インドのリズム、への興味など。

ワタシの思い出話になりますが、

「第一次インドブーム」がいつ来たかと言うと、
中2でビートルズにハマった後、です。
ジョージ・ハリスンの作るインド色むんむんの楽曲が特に好きで。
きっと、なにか「エキゾチック」なものに惹かれる性なのでしょう。
(ジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画「living in the material world」はスゴく良かった、、、)
初めて「耳コピ多重録音」に挑戦しようとした曲は、「The Inner Light」という曲で。

...友達のアニキが録音機能つきのシンセサイザーを持っていたので、中2の夏休みに、その子(=ピアノ弾ける)の家で、シンセでハルモニウム(パイプオルガンで代用)とインド笛(フルートで代用)のパートを録音し、あとはアコギとバイオリンを鳴らしてテープレコーダーに録音しようとしたけれど、(打楽器類は何叩いてるかすら判らず再現は無理と判断し、潔く割愛…)アコギとバイオリンを一度に弾けないことに気づいたところでギブアップ。。。楽しく辛い思ひで、です。

もとい、、、
ジョージ・ハリスンが傾倒していったインドの教えって何だろう、という興味と、
それを元に書かれた歌詞の意味が、全くもってわからん、、、というフラストレーションから、
図書館や本屋をめぐって色々読みはじめたのです。

(これはインド、とは違うけど)チベットの死者の書、関連や、
インド滞在記・旅行記のようなものは中学生のワタシにとっても面白かったものの、
「インド哲学」については、ほぼ理解できず…。

「アートマン=真我」って何?
と言う感じで。難しすぎました。
難しすぎると諦めたところで、それ以上は踏み込まず。

(追記:あ、違った、踏み込もうとして、ついでに「大学進学」への一縷の望みを繋ごうとして、「某大学の東洋哲学科に進学したいです」と懇意にしていた教師に相談したら、「俗世に戻ってこれなくなるから止めとけ&つぶしがきかん」と全否定され、諦めたのだった…。)

インド音楽、についても、ラヴィ・シャンカールのCDを聴きながら、「なんか気持ちええけど、眠くなるな」という感想を持つまでで。

で、「第二次インドブーム」は、それからかなり後に来ました。
あれは三年前。(byチアキナオミ)

…あれは自分にとって、しんどい時期でした。
身近にとても「嫌な奴」が居て(その後、居なくなりました)、毎日嫌な気持ちになっていて、
そんな奴に負けてしまっている自分の状態が、なにより嫌でした。

そんな時に、ヒーラーの友人に勧められて、いくつかワークショップを受けたのです。
ヴェーダ(インドの「科学」、宗教ではありません。)について、瞑想について、入門編ですが、教えてもらいました。

...「This is it!!」(=おお、これや!!)、という感じがしました。

でも、この「発見」のあと、指導者の誠意に対して疑問を抱く出来事があり、ワタシは大いに「傷ついた」と自覚し、この辺りのコミュニティから逃げざるを得ませんでした。
教えてもらったこと自体は、ヴェーダは、有効であると確信したのに、整理のつけられない感情が、ワタシを元いた場所に走らせたというか。
記憶を再現させたくないので、ヴェーダとの出会いそのものも、「なかったこと」にしていました。

もやもやしていました。
「逃げた」ワタシの判断に対しても、正しかったのかどうか、一抹の迷いもありました。
ヒーラーの友人に対しても、複雑な気持ちを抱いて、もやもやしていました。
もやもやを解消する必要があるけれど、うまく思いを伝える・話し合う自信がないから避けて通りたい、
そういうワタシの一方的な思いから、その友人とも疎遠になり…

それから時間が経ち、「傷ついた」感情は消え去り、
冷静にそれぞれの物事を独立して観られるようになり、
偶然か必然か、友人とも華々しい場所にて再会でき、
そこからまた付き合いが(というかワタシが助けられるという構図が多いかな、)はじまり、、、

その、戻ってきた人間関係が下地にあったところで、
「第三次インドブーム」が数ヶ月前に来ました。
キキーッと。(急ブレーキの音)

入口はDVDで観た某る踊りと、踊りに伴うインドのリズム、音楽、コンナッコールだったのだけど、
ヴェーダをまた学び、実践することがワタシに必要かもしれない、とは最近思い始めた。
何故そう思い始めたか、については長くなるので、また次回。

インド音楽と、インド哲学(=ヴェーダ)のリンクが、ワタシの中であるのかないのか、よくわからない。
ただ、インドにまつわるどんなものも、14、15歳の頃の記憶とリンクするのです。
ただただ、懐かしく感じるのです。

「クリシュナ」という語感、
サモサの匂い、
タンプーラの持続音、

そういう全部が全部、「初めて出会った頃」を思い起こさせるのです。

ワタシが中学生の頃は、インド料理屋なんてもちろん周りになかったし(都会ならいざ知らず)、
食べ物も楽器も、本に書かれている説明書きや写真から想像するしかなくって。
本に書いてある、ざっくりしたレシピをもとに、豆(ダール)のカレーとか、なんか旨いのか不味いのか判断のつかない代物を何度も作ってみたなぁ…。家族にはあまり「売れ」なくて、一人で嫌になるほど食べた記憶が…。
19歳の頃、東京で初めて(あれは新宿)食べたインドカレーが自分史上マックスの旨さだったなぁ。
最近は「旨い」インドカレーには恵まれていないなぁ。
舌が肥えたのか、胃が年食ったのか。

カレーの匂いがしてきた(そういや、今日Facebookで旨そうなカレー・ランチの画像を観たのだ)ところで、
ヴェーダとビートルズに記憶を戻して、引用。


The Inner Light

(by George Harrison, recorded at EMI studio in Bombay, 12 Jan 1968)

Without going out of my door
I can know all things of earth
Without looking out of my window
I can know the ways of heaven

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

Without going out of your door
You can know all things of earth
With out looking out of your window
You can know the ways of heaven

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

Arrive without travelling
See all without looking
Do all without doing

家から一歩も出なくとも
僕には世界中のことが手にとるようにわかる
窓の外を見なくとも
僕には天の摂理がよくわかる
遠くへ行こうとすればするほど
知り得ることは少なくなる etc...
by agatha2222 | 2013-03-22 02:20 | Project Beatlish | Trackback | Comments(0)


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