6/20、6泊8日の旅を終えて戻りました。
お陰さまで、色んな意味で盛りだくさんの、濃い経験となりました。 日本で、旅先で助けてくれた人みんなに感謝です。 まともなブログ?らしく、日程順に旅行記を綴っておこうとは考えているのですが、 とりあえず、記憶がフレッシュなうちにこれだけは書いておきたい、メインイベントについて。 今までしつこく書いてきましたが、今回の旅の主目的は、Eastman - Sidi Larbi Cherkaoui(シディ・ラルビ・シェルカウイ)のダンスシアター、"Puz/zle"と"Play"を観ることと、その本拠地のアントワープに参ることでした。 特に"Play"は、南東インド古典舞踊、クチプディのパフォーマー/ダンサー、インド産まれパリ育ちという「西洋と東洋の子供」Shantala Shivalingappa(シャンタラ・シヴァリンガッパ)とのデュオ作品(デュオ、プラス四名のミュージシャン)、 つまりシェルカウイ本人が踊る、踊りまくってさらに歌って色々する、今となってはレアな機会、 さらに37歳という年齢を考えれば、その機会がこれから増えることは(普通は)考えにくいということで、 前売り券は手に入らなかったものの、「死ぬ前に絶対に一度でもライブで見たい、っていうか今見たい」という強い気持ちで、 帰国日の前夜、会場であるパリはCite de la Musiqueへ赴いたのであった! (ダダンダンダダン、チャーラーラー) 6/18、その日の観光を終え、余裕を持ってホテルに戻り、 少し休憩して、身だしなみを整えて、買ったばかりの靴に履き替えて、いざ出発。 (履きつぶしたスニーカーを旅先で捨てていく予定で) 「どうか観られますように」「きっと今まで観たことのない素晴らしいモノだ」 という不安と期待で、アホみたいにもうドキドキしている。 メトロのプラットフォームに降りたところで、オペラグラスをホテルに忘れたことに気づき、 急いでホテルに戻る。焦る必要もないのに、焦っちゃう。 軽く車に轢かれそうになりオッサンに怒鳴られるも、早く気付いてよかった。 オペラグラスは必須だった。 会場Cite de la Musiqueは国立音楽院(コンセルヴァトワール)に併設していて、駅周辺にアカデミック/アーティスティックな雰囲気(なんじゃそれ)が漂う。 当日券を求めて受付に(ドキドキしながら)向かうと、開演の五分前から売り始めるというので、列に並んで座る。 開演50分前、私の前に待っているのは二人、よし、三人目ならきっと大丈夫。 わざわざ当日券に並んでるくらいだから、この二人の女性もシェルカウイのファンか? もしくはシャンタラの?、、と思うと話しかけたくなってくるが、二人はフランス語で会話中なので大人しく待つ。 少し待って、前売り券を売りたいというオバアチャン登場。 こういう人が居るはずだと期待はしていたが、三人ともチケットを手に入れられて大喜び。 一人の女性は私の隣の席。 イェーイ!ということで三人で盛り上がり、「この為にわざわざ日本から来た」と話すと、 「日本人にはいつも驚かされるワ!」と。 そして足取り軽く会場へ。とても気持ちの良い空間。 隣の席をゲットした女性(便宜上、「同志」と呼ぶ。名前を聞いたが聴きとれず)と開演まで、話す。 彼女もダンサーで、シェルカウイが一番好きなダンサー/コレオグラファーで、 他にはアクラム・カーンやオハッド・ナハリンが好きだというこで、ちょー話が合う! そんな人と初めて話したワ! そして、いよいよ開演。 舞台上には、シェルカウイと、シャンタラと、四人の多才なミュージシャン達、 そして沢山の楽器と、等身大のパペットetc... Then, they started to play "PLAY". 感想を書くのは難しい。 言葉にすると必ず語弊がつきまとう、足らない、陳腐になる、 PR目的ならカンパニーのウェブサイトの紹介文や、プロの批評家の文章を読んでもらった方が、いい。 (、、って訳せないなら載せるなってかんじですが。ごめん。) Play pivots on two intertwined conceits: the idea of playacting, the role playing required in theatre; and the games people play, in this case, a man and a woman. Games of chess, games of seduction, ploys where male-female energies are pitted, not so much against each other as in winning over the other. The premise of assuming another role, of putting on masks assumes shades of wish-fulfilment: there is here the child's – or artist's – desire to sidestep one's image, to elude the trappings that accompany a name, a form or a history...(つづく) http://www.east-man.be/en/14/11/Play ワタシが今まで観たシェルカウイの作品の中では、最も「痛み」や「悲しみ」を呼び起こす表現の少ない、「闘い」のない、純粋な「遊び=Play」や「希望」に溢れていると感じた。 そして、この作品の大きな要素の一つが、「歌いつつ踊る」ということ... シェルカウイとシャンタラの声は運命?というくらいに良くマッチしていて、 素朴な、装飾のない(決して技術に欠けるとかいう意味ではない)、優しい歌声は、願わくばiPodに入れて聴き続けたいくらい... 一つだけ惜しいのは、終盤でシャンタラの結構長いスピーチが入ったのだけど、 フランス語だから内容が解らなかった、ということ、、、 後ほどYoutubeのトレーラー映像(こちらはワールドワイドバージョン?ということで英語で話してる)で復習して、なんとなくメッセージは伝わったと思う。 ...どの作品にも感じることだけど、その根底に流れるというか浮かび上がってくる思想やメッセージ、 シアターとしての演出アイデア、ユーモア、 作品の創作過程で共に作り上げられる(書きおろし)、各国の伝統を融合させた音楽の生演奏、歌、 オリジナリティ溢れる(特に手・腕の)複雑・緻密な振付、様々なスタイル、 それら全部がone and onlyに素晴らしくて、また次の作品を(もしくは同じ作品でも)観たいと思うのだけど、 なんといっても彼本人のダンスがスゴかった。。。 やっぱり彼のダンスは彼にしか踊れないものだと思った。 類稀な柔軟性とキレ、瞬発力(一瞬で次のカタチになる)、演技力(つまり感情や空気を醸し出す)、、 柔軟性というのは各関節の可動域が広いということだけではなく(それも大事だけど)、 例えば、あたかも肩から指先に何百もの関節とそれを動かすためのセンサー等が着いていて、なめらかに動かすことができるような、動きの柔らかさのこと。 また、どんなに素早く動いても、跳躍しても、チカラを込めている感じや、「努力」が見えない。 でも、ちゃんと「強さ」も見える。 なんて、褒め口上でもワタシなんかが評するのは気が引けるくらいなんですが。 ...このワタシのシェルカウイへの熱狂は、ホンモノなのか、 それともただ「熱狂」したいだけなのか、と一歩引いて考えてみたりもするのだけど、 彼の作品やメッセージが「熱狂」に値することはまず疑いなく、世界的にも認められていることで、 ワタシ個人的にもご縁があるのは、間違いないと思う。 そして、今このタイミングで集中して「追っかけ」(色んな意味で)していることも、 導きあってのことなのだろうと、 だから「これでいいのだ」と、思う。 (↓終演後、長い長いカーテンコールの後の舞台。可動式マス席??の上に楽器がいっぱい。) ...公演が終わって余韻に浸りつつ、隣の「同志」と顔を見合わせる。 ワタシ 「はー、立ち上がれないワ~~」 同志 「彼に会いに行けばイイじゃん!」 ワタシ 「デマチってことよね?いいのかなぁ、、、」 同志 「私、アクラム・カーンがDESHをパリで演った時、会いに行って話したよ!」 ワタシ 「まーじ!?そうか、トライしてみようかなぁ、でもどこで待ってればいいんだろう、楽屋?」 同志 「どのくらいの時間待つかは判らないけど、楽屋入口で待ってればいいのよ、場所は私がスタッフに訊いてあげるわ」 ...と、この美しき同志が楽屋?のロビーまで連れてきてくれた! なんと有り難い、ラッキー。 彼女は子供が待っているということで、先に帰ってしまったが、というわけでワタシは人生初の「デマチ」。 (しかも手土産なし。) ロビー受付の人も、中で待ってても構わないと言ってくれている。 ワタシのほかには誰も待っていない。ひとり待つ。 もー、ドキドキしてきた…。逃げたくなるほど。 楽屋奥から誰かが出てくる度に、ビクっとする。 見知ったミュージシャンらが先に出てきて去ってゆく。 待つ。 で、で、キターーー!!!! 日本人のダンサー兼アシスタントである上月一臣さんと、ミュージシャンの堀つばささんらと共に、その姿が見えて、(ワタシはガン見) 目が合ったら瞬時に彼の方から「Thank you~~」と笑いかけながら仏教徒のように両手を合わせてこちらに歩み寄ってきてくれた。 映像で何度も観た、本当に笑っているときの笑顔で。 待っている間じゅう、「彼が現れたら何と声をかけようか、ちゃんと失礼のないように引きとめられるだろうか」と考えていたのだけど、そんな必要もなかった。 あたかも、ワタシのことを知っているみたいに、 少なくともワタシがずっと(という程の長い時間でもない)待っていたことを知っているみたいに。 今晩の感激と(観劇の感激…)、自分のクレイジーファンぶりと、このために日本から来たということを簡潔に伝え、握手し、ハグしてもらってから、 「カズトミ(上月さん)とは話した?」と訊かれ、上月さんにも紹介してくれた。 そして「写真とってもらってもいいですか?」とワタシが訊くと、「オフコース」と。 夢のようです。 思っていたとおり、それ以上にスイートな人で、 触れた手も身体も(映像で見る印象より細い)とても柔らかかった。 後で自分のガサガサの手を見て、ちゃんと毎晩、油を塗ろう、と思った。(蛇足) ただプロフェッショナルに、ファンを疎かにしない、、というよりは、 本当に他人を大切に扱う誠実な人なのだろうと感じた。 (↓宝物過ぎて載せるのを迷ったけど、これを載せずに何を載せる?とも思うので載せちゃう!この他に撮ってもらった写真はブレブレだった。カメラの使い方をちゃんと説明する必要があったなと反省、しかしこれ一枚で十分有り難い!) さて、これで今回の旅のメインは終了しました。 スターに会えて、「もう死んでもいい~」というよりは、 むしろ「これで生きられる」と思った。大げさですが。 今自分がやりたい・学びたいと考えていることを(いささか混乱中)、なんとか整理していけるような気がした。 パフォーマンス中の音楽・歌にも影響されて、早く家に帰ってピアノやギターを弾きたいと思った。 劇場からの帰り道も、翌日も、歌わずにはいられなかった。 それまで暫くの間、そんな気にはなれなかったものだから、本当に何か、エネルギーを授かったのだという気もする。 翌日、予定していた観光地・美術館を巡るも、昨晩の「出会い」に比べたらどれも色褪せてしまう。 しかも一週間の旅で疲れも眠気もピークに。 そして頭の中では、彼のダンスを、彼との出会いの記憶を忘れまいと、何度も何度も再生している、、。 意識がココにいったり昨晩に行ったり、危なっかしい。 で、こんなにラッキーが続いて、大丈夫だろうか、いいのかな??とうっすら考えていたら、 最後の最後にカルマは落ちました。 チェックアウトを済ませたホテルへ荷物を取りに戻り、帰途の空港へ戻る前に、スマホとパスケースが消えていることに気付いた。 どうやら、ホテルへ戻る途中、もう慣れた(そして疲れて油断していた、、)メトロでボヤっと立っていたときにリュックのポケットから盗られたもよう。 危なっかしい有頂天から、一気に足が地に戻った。 まあ、旅は終わりだからスマホが無くなっても困りはしないし、 パスポートや財布に比べたら(パスポートや財布はリュックのポケットなんかに入れとかないけど、、)、全く致命的な損失ではなく、 リーズナブルなカルマ落ち?だと思って、妙に納得。 というか、こういうことが起こると知っていたような気も…。 数か月前に買ったばかりの新しいスマホだったので、確かに青ざめたけど、 帰国後、ちゃんと電話会社の保険が効いて新しいのが貰えると判明。 あーよかった。 巻き戻しで、旅行記はつづく。 またいつか、会えますように。
by agatha2222
| 2013-06-22 23:37
| Travel (Dance)
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