人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テクマクマヤコン

幼いころ、アニメの「ひみつのあっこちゃん」とか、好きじゃなかったの。
幼い女の子が好きそうなアニメとかマンガとかキャラとかアイドルとか、好きじゃなかったの。
あっこちゃんは、名前(あだ名)が自分とカブっていて、迷惑とさえ思っていたの。
近所の年下のお友達が、「テクマクマヤコンコンパクト」を買ってもらったとかで、
その遊びに付き合わされるのが辛かったの。

...なんて、気がついたらやっぱり無駄口を、ワタシったら...

「言葉のちから」うんぬんと前投稿で触れましたが、
「鏡(の自分に)向かってなら何言ってもヨシ、
鏡に向かって話しかけることが貴方にとっての瞑想ですわ」
とある人に言われて。
(それでテクマクマヤコン)

やってみたらね、そりゃまあ、バカバカしくって話すことなんて何もでてきやしませんわ。
頭の中で考えてることなんて、大概がどうでもいいこと、
いや、どうでもいいっていったって、考えるのは必要なこと、
でも言葉に出す必要なんてないのだなと、
鏡に向かってみたらよく解った。
(気づくの遅い?)

あんまり要らぬことをピーチクパーチク、ゆうてたら、
これぞという言葉の重みも軽うなってしまいますわな。
(あ、桂枝雀師匠の影響で大阪弁に…)

でも、
でも、
やっぱりピーチクパーチク。
(どないやねん)

「鏡に向かって話しかけてみぃ、
自分のこと見て、話してみぃ、
アンタ、ヒトのことばっか見よって、自分のことちぃーっとも見とらん」
言われたんですわ。
(大阪弁、ウザい?)

ワタシ、すぐ反論しそうになったんですけどね、
やっぱり納得したんです。
自分のことばっかり考えてはいるけど、
自分のことは見えてない(ってか、見てない)のだな、と。
自分の「フシギ」に大いに興味を持って生きてきたつもりだけど、
自分が思ってるほど、自分のことちゃんと知らん、と。
責任もって言うこと言うてないと。

こう言うと、
自分のことばっかり、、って、
自分のことばっかり考えてるってこと自体、恥ずべきことじゃない?
っと思ってしまうのは普通かと思うけど、
その賢いオッサンの言うことには、
「内側を知れば、外側のことは解る、
外側を知っても、内側のことは解らん」
あ、そうか、納得。

...たしかに、ちょっと視点はズレるけど、
自分のこと、映像で見ると恥ずかしいよね。
ダミアンWSでのリハーサル模様を、復習のために撮ってたんだけど、
(踊ったり課題に取り組んでいるとき以外の)普段の自分の仕草が…
なんちゅうガサガサと落ち着きのない(恥)
音声も、恥ずかしね。
歌ってる声を聴くのはまだいいんよ、まあ聴きなれているし、
でも喋りの方が…なんでそんなに急いで喋んねん…
ね、認識と現実にギャップがあります。

というわけで、
自分のことが見えてない、
ということには(改めて)気付いたばかりなのです。

が、
自分のルーツ、、先天的な自分の構成要素として、
血筋、ご先祖のこととかについて、ちょうど最近興味をもっていたのです。

そしてタイミングよく、先週は親と会って話せて。

自分がどこから来て、
何でできてて、
なんでこんな人間になって(しもて?)、
何のために居るのか、
何のために息しとんのか、

若いうちから学業もほっぽって、
音楽・歌・音楽・歌、と息巻いてやっとったのに、
色々でアカンようになって、
意外なところで家庭を持って、やっとマトモになれた?と思ったら、
それもアカンようになって、
(別に誰も悪ぅないのに)
今度はワタシに何せぇっちゅうの?といいたいとこやけど、
さほど考えるまでもなく、
おのずと昔々の立ち位置に戻ってきたようにも見えるのやけど、
「螺旋上にヒトは成長する」とはよう言ったもんで、
同じ場所でもちょっと違うのですな。
今んとこは、ココしかないのですわ。
逃げるとこもないのですわ。
誰かが御膳立てしてくれたというか、
連れて来られたという気がしてならん。
アンタ、ワタシに何をさせたいのや?
by agatha2222 | 2013-09-26 02:38 | Other | Trackback | Comments(0)


<< 知性と想像力の限りを尽くして… それから日記 >>