10/13 「徳久ウィリアム式ボイトレゼミ&即実践!(カラオケ)の会」にご参加いただいた皆様、
そしてウィリアム先生、ありがとうございました!! 企画チームとしてワタクシ、至らぬところもあったかと思いますが、 当日は満員御礼(場所、チョイ狭かったかしら…?)、 カラオケも盛り上がり、楽しいムードの中、四時間の会は終了しました。 ボイトレゼミ(ワーク)ではみなさん、メモをとったり録音したり、真剣なまなざしで、 学ぼうとする意欲と、発見(発掘)の喜び、 それらのポジティブなエネルギーで会場は満ち満ちておりました。 終了後、誘った友人も「声が出しやすくなった」等と言ってくれて、 紹介できてよかったなぁ~♪と嬉しく思います。 ワタシ自身も、久々のワークを通して、 体の隅々まで意識をめぐらせ、その振動を聴き、感じることに集中できて、 終了後には生き返ったような清々しさが、、、。 例えるならば、身体の細胞(とくに骨と肉)の一粒一粒が浄水器カートリッジの砂だとして、、 そこに水が通って(水=意識というか意思というか気というか)一粒一粒が独立して潤う、、 一粒一粒が動けるようになる、歌えるようになる、 そんなイメージ。(あくまでイメージ) 実はここ最近、本気で声を出す・歌うことをサボっていたので、 (近所迷惑にならない程度に自宅でちょっと弾き語るだけで) まさに歌うための身体が、能力が「長い眠りから目覚めた」というかんじでした。 「もー寝過ぎて腰いたいわー、早よ起こしてんかー」と身体に言われたとか言われなかったとか。 家で一人で、ワークやればいいじゃん、って? 言うよね~~ 全くやらなくもないんだけど、、集中の質が全然違いますのよ、、 ワタシの腹も据わってないもんだから… (これは余談) 以下、ごく個人的な感想を~。 今回のボイトレゼミで印象的だったのは、声を届かせる範囲を広げていくワーク。 「発声」という行為にイメージの中で必然性を与えつつ、 段階的に範囲を広げ(=声の音量を上げて)、最大まで達したら逆に狭めていく、というもの。 自分の声が最大音量に達したとき、脳裏に子供の頃の親子or兄妹喧嘩の記憶が浮かんだ、、。 普段の生活や歌でそこまでの大声をだす、シャウトすることってないからなー。 シャウトの記憶は身体が覚えているらしい。 肋間筋だけでなく腕脚含めて全身の(特に内側の)筋肉が瞬間的に緊張・収縮する。 …シャウトの才能(?)、あるかも…?と実はちょっと思った、、 ケンカ等で(必要にせまられて)大声を出す、、という経験は誰にでもある、 なんてことはないのだよなと思うので(まわりくどい言い方すみません)。 (ケンカ好きじゃないですよ、念のため…) 今回は、このようなワークで声を出しやすい「状態」を作った上で、 カラオケで好きな歌を歌おうゼ!という企画だったので、 ワークの効果をより実感できたと思う。 まあ、歌を歌う、ということは発声のコントロールだけでなく、 発音or割舌も重要なので、 発声が「滞りなく」行える「状態」では (あくまで当社比よ) より割舌の問題が浮き彫りになる、という実感もー 表情筋の問題です、ええこれはワタシの個人的な問題(というか課題)。 ワタシ自身はふだん、カラオケに行く機会はあまりないので、 参加者の皆さんの、色んな曲のチョイス、色んな声、色んな歌が聴けたのも楽しかった。 「恥ずかしい」という気持ちが邪魔をすることもあるけれど、 やっぱり大多数の人は、歌うことは好き、楽しいと感じるんだよなあとシミジミ思った。 歌や踊りは、ずっと昔から、人々の日常にあったもの、 なのよね、きっと。 特別な芸能としてではなく、レクリエーションとして歌や踊りを行っていたのよね、誰でも。 …風営法のダンス規制とか…(一方、小学校の体育でダンス必修とか…) どないやねん、と思いますが。 それはさておき、再び回想シーン… 日常に歌や踊りを、、って、 子供の頃は当たり前に、教わらなくても、楽しみとしてやってたこと、だと思う。 (少なくともワタシにとっては…) 缶ケリとかケイドロとか、お絵かきとか馬場抜き(否、ババ抜き)とかと同じ遊びの一種として、 歌謡曲の替え唄やら学校唱歌やら、休み時間に歌って楽しかったのです。 で、中学生になってもまだ同じように歌って遊んでいると、、 変な奴だということになってしまう(笑) もったいないと思うのよ~~ 非合理的だわ~~ 羞恥心の目覚め~~? お金払ってカラオケに行かなくても、自然発生的に声を合わせて歌えばそれで楽しめるじゃな~い~ 、、、 ボヤキですけど。 ワタシは昔からそう思ってるからこそ、 ブラジルのパゴージとかにも憧れるのだなあと(改めて自己分析) それはさておき(パートトゥー)、 ウィリアムさんの「神経トレーニング」とも呼べるワークに絡めて考えていたことを最後に… ワーク等で身体の感覚に集中すると、 妄想や心配やわずらいごと(あえて妄想と呼ぶ)に頭を悩ませる余裕はなくなるわけで、 (その余裕があるとしたら、集中できてないってことだ) ワークが終わった後も、 ああワタシとはこの身体なのだ、という自信というか実感がまだ残っているので、 妄想や心配やわずらいごとの質量はたいてい軽くなっている。 そしてオマケに(オマケでなくて目的なんだけど) より使える身体になっている、という。 より自由自在に。 …はりきって歌など歌いたくない、というほどの泥沼に、しばらく、ココロが、居たんですけどね、 (まあ秋だからね、そういう気分にもなる) 身体のワークが疎かになっていたから、というのも大きいなと思っていた。 つまり運動不足、で使いにくい冷たい?身体になっていた。 運動なんて大そうなことでなくても、ゼミで教わったワークをやればいい(タダだし)のだけど、 そんなに自分で自分を律せるアレじゃないので… というわけで、最近はクラシックバレエのレッスンetc.を再開。 少しずつ生き返って?きました、、、。 他のことはおろそかになるけど、 やはり自分自身=自分の身体と体に属する心etcが一番重要なので、 暫くの間はそのへんを優先させようと思っています。 …バランスがむずかしいのです。 拡散と集中、 外と内、 おにはそと・ふくはうち・ふくうちきがいのえれきてる、です。 最後になんの脈絡もない落書きを~(せっかく描いたので) 題名「鵜飼」 ![]()
by agatha2222
| 2013-10-18 23:04
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