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ことば とは とれす さーん てぃーん ♪♪♪

10/30 チャーリー高橋さん宅にてリハなど。

11/25ライブで演る予定の曲を中心に練習。
来年以降、演れそうな曲を聴かせてもらったり。
(後半はほぼ、DJナイトに…)

楽しい晩。色々な発見あり。
歌を通して、自分を客観的にとらえてくださるのがありがたい。
歌声(歌い方)から、楽曲の解釈ついて、さらには人物像を読み取って頂くという
まるでカウンセリングのような(笑)。

そしてリハ以来、新しく聴かせてもらった沖縄の民謡が、ずーっと頭でループしている。
三線が新たに欲しくなる(昔持ってたんだけど売っちゃった)ところだけど、
ギター弾き語りでもなかなか面白い。
早く演ってみたいな~~

それにしても、日本語は発音が難しいと感じる。
じゃあキレイな(何をもってキレイというか?)英語やポル語で歌えるかといえば???だけど…。
英語であれば、歌を組み立てる部品として、自分としては(比較的、)自由に扱えると感じている。

日本語の難しいのは子音と母音が一体化している点で、
それが一音に一字、となると難しくなる。(ときもある。)
自分で書いた歌ならば、自分の発音しやすいように書いているので、
(かつ、どう発音しようとも自分の勝手なので)気にならないのだけど。

割舌。
カツゼツ。
股割みたいなものか…(ちがう)

標準語の日本語のイントネーションが階段、であるとしたら、方言はスロープ、
といいますよね。
だいたいからして、普通に喋るのも標準語って難しいのかもしれないな、
ああ、なんだか難しい気がしてきた!

じゃあ英語はどうかと。
キレイな英語ってなんなのか、追求するつもりもないのだけど、
よく人から「(好くも悪くも)ナマッてる」と言われる自分の英語発音について、考えを少々。

まず、ワタシが自主的に興味をもって最初に聴き始めた「英語」が、
いわゆる90年代初頭のブリットポップ、UKロックだったので、
ひとくちに「英語」と言っても、歌い手によってさまざまであることが「普通」だと思っていた。
いや、普通だと思ったというよりは、そのような多様性を好んだ。
イギリス国内でも、上流階級の英語、コックニー(ロンドン下町)、リヴァプール、もしくは歌い手の出身地に関わらず…、、さらにはアイルランドや北欧やフランスやら、色々ある。
「ナマり」がアイデンティティであるかのように聴こえる。
それが、良いの。
たぶん、ネイティブスピーカーでないからこそ、
どういう「ナマリ」はダサいor鼻につく、とかいう先入観無しに、ただ「特徴」として受け入れられるのかもしれない。

ワタシたちが外国語で歌うにあたって、
「何を言っているのか現地人に通じなければ、、」という意見もあるが、
例えばイギリス人であるTom York(radiohead)の歌ってる内容なんて、
イギリス人が聴いても「聞きとられへん」らしいし、、
まあ、なんでもアリっちゅうことですな。

ブリットポップ等を聴き始める前にも、
母の聴いていたホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリー等、
米国のR&Bに触れる機会もあったわけだけど、
子供心に、音楽として(歌手として)イイ、スゴイ、と感じながらも、
自分自身と繋がるモノを感じなかったわけです。
「バックトゥザフューチャー」のマイケル・J・フォックスとかが話す英語なども、(歳がばれる)
カッコいいアメリカの、遠い世界のモノ、としてとらえていたのなー。

そして一見(否、一聴)、「ムチャクチャな」発音、「奇抜な」発声で歌われた「英語」に触れた時、
「えー、これ英語なん?」という驚きをもって惹きつけられた、のかなー。

んでもって、ビートルズに出会ったらコレが聴きやすい。
歌詞の内容も解りやすい。
つじつまが合うことを言ってる。
ビートルズで英語を学んだといっても過言ではない…。

というわけで、色んな側面からみても言葉って面白いなあ思う今日この頃。
(強引にまとめる)

話はそれますが、
「ベルギー ヨーロッパが見える国」という本を読んだ。
オランダ語(フラマン/フランデレン語)とフランス語の、
ゲルマンとラテンの、
フランデレン人とワロン人の攻防、
その境界線を内包するヨーロッパの十字路、ベルギー。
多言語国家の面白さと、
シディ・ラルビ・シェルカウイ(←このブログではお馴染です)とダミアン・ジャレの文化・教育的背景に触れる。

そんな、こんな。
あんな、どんな。
アンナ、マドンナ。
by agatha2222 | 2013-10-31 23:14 | Other | Trackback | Comments(0)


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