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ボイス考など

3/22 (ツイッターに書いたことの纏めと補足-備忘録)

ライブの日は歌うことに備え、徳久ウィリアムさんのWSで習った神経トレーニングを行います。
休憩を挟みつつ一時間もやれば、私の場合、まあまあの状態になれるように思います。
ライブの日にしかやらない、というのはイケてないかもですが、まあそれはおいといて。

2月末の「ビートルズ狂時代」ライブの時も、
前日のリハーサルまでは『こんな声の出しかたではヤバイ』『慢性的に枯れ気味』だったのが、
当日はこれらの準備を行ったため、本番では足の裏からなにかを吸い上げて体を通してハートの辺りから響く、自分が理想とする声が出せたと思います。

音程はずしたり歌詞を間違えたり、というミスがあっても、ちゃんと自分の声が届けられたらそれだけでもいいな、と思ってます(いいのか?)。
反対に、上ずった声、浅い声、苦しい声しか出せないときはライブ中でも切なくなります。
自分の生活態度や精神状態すべてがバレるような気になります。

わたしが人前でまた歌うようになって、1と1/4年程が経ちましたが、
改めて自分の声は『野太い』?のだなと思う。
なぜそうなのか、と要因について考えると、
先天的な遺伝、がまずひとつ、
あと、子供のときに家族の中で最年少だったため、自分の意見は正論であっても聞き入れられず、強く抑えつけられても諦めなかったことに起因してるように思う。
(これはある意味、後天的遺伝、といえるか)
聞き入れてくれない壁が手強いのでこちらの声も太く強くなる。

そのしつこさ、周りは『反抗的』とよんだけれど、反抗、なんだろうか?
偉い(もしくはえらぶった)ヒト/ゴーマンな権力者に対して失礼かと思われる態度をとることが、中学生くらいの頃からはっきりと、好きだったかもしれない。

そして、そこまでしつこくなっても通したかった自分の言い分ってなんだったのだろうと思い返すと、とどのつまり、
『人に順位はないし、暴力は絶対にいけない』ということです。

今でも間違っていなかったと思う。
要領は悪かったなと思うが、まあ幼かったので仕方がない。

自分の言い分、
そんなことを思い出したのは、
(いや、嘘。毎日思いだしています)
自分がこんなにたくさん、歌をうたったりパフォーマンス?のようなことをしたりして、
一体何が言いたくてやってるんだろうか?と考えずにはいられないから。
別に「なにか言いたいことが明確にないのにパフォーマンスやアートを発表してはならない」などとは決して思っていないけれど、
ワタシの中の本質(タマシイとでも言っておきましょうか)が何を言わせたがってるのか、この世でさせたがっているのか、さぐってはいます。

物心ついたときから、「知っている」ことってあるのです。
譲れない好き嫌い、とか。

『人に(生まれながらの)順位はない』と信じていながら、
順位をつけられる(そしてその上位に立ち、他の人にそれを知らしめる)ことを欲したこともあった。
初めての、得意分野での競争、、、
そして2年程で、そんな「虚栄心が原動力となった努力」がいかに苦しくてむなしいものか、気づいてしまった。

それについての話は、いつか話したいと思っているのだけど、
長くなるのでまた今度!
by agatha2222 | 2014-03-23 03:15 | Other | Trackback | Comments(0)


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