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『カンタータ・ビートリッシュ』 プロダクションノート(1)

CANTATA BEATLISH(カンタータ・ビートリッシュ) を制作中です

意識が霧散したり またあるところに集中しすぎて裏返りそうになります

とにかくたくさんの時間と元気が欲しいところです

制作途中で言葉にできることは少ないのですが

ちゃんと作れるのか不安で恐ろしいなどと言いながらも、やっぱりこれでいいのだという確信もあり

いやまあ、これでいい、というほどまだ出来上がってはいないのですけど




こういうの(=今作品の内容)、大っ嫌い、という人が必ずいるだろうなと思いつつ

でも、ほんとうに大事なことなのだと思う

例えハッピーエンドでなくても、希望に繋がるメッセージがこめられるのではないかと

思ったり

思わなかったり

浮かんだり

よろめいたり

内容(スクリプト・編曲・演出・舞台設定)を作っても、それを具現化するためのリハーサルの時間はどれくらいとれるだろうかとも考えたり

(あまり複雑にすると大変・・・)

そのへんの進め方こそが、自分がもっとも試される部分だとは思います




前作「シアター・ビートリッシュ」をご覧になった方から

「ビートルズ愛にあふれた公演でした」という好意的なご感想をいくつか頂きました

ビートルズ、に対しては、まあ恋心まじりの中学生の頃はともかく、

もはや、憧れとかそいういう感じはなく、

自分の基礎みたいになっているわけです、もはや

最早

たとえば彼らの子供たちが何ていう名前だとか、どんな車に乗っていたかとか、

武道館公演は何年の何月何日で動員が何名だったとか、

そういうことは全く知らないし興味もないのですが、

彼らが為したことは、私にとって初めて出会った本当の友達みたいな、そういう存在だったと思います

で、その想いを「愛」と呼ぶならば、「愛」はどうも二層式になっていて

一層目がビートルズのすべてのオリジナルアルバムと映画への入れ込みだとすると

二層目はジョン・レノンの人となりを知った後に築いたコネクションであるといえます



ビートルズ解散後の1970年にリリースしたソロ・アルバム「ジョンの魂」(Plastic Ono Band)、

ビートルズ解散などのストレスからナーバスになっていたジョンが試したといわれている「プライマル・スクリーム」療法で幼少期のトラウマ(5歳で両親が離婚、叔母夫婦に引き取られ、さらに17歳で実母が事故死)と向き合った、その産物のような、そのまんま赤裸々なスクリーム(=叫び)

初めて聴いたときは「なにこれ手抜き音楽!!ビートルズじゃない!!」とも思ったけれど、
もちろん手抜き音楽なんかじゃなかった、そうじゃなかった

その叫びと哀しみに 何故だかよくわからないけど 共感してしまう自分が居て、

その自分はまだそのままここに居て、

この共感って、単なる自分のヒロイン願望の一種のカタチなんではないかと思うとすごく嫌になったけれど

(だって私の親は生きてるし離婚もしてないし)

その哀しみというのは、もしかすると、いわゆる集合意識の、太陽の光も届かない深海のような場所で響いている通奏低音のように目に見えなくとも常にそこには在るものなのではとも思えて、

すくなくとも 私にとっては嘘やハッタリではないわけです




ところで 私の父親も、5歳の頃に両親が離婚し、祖母と従兄弟たちのもとで育った人でした

私も幼い頃はそのことについて全く意識することもありませんでしたが、

ある年齢に達し、むなしさ、寂しさの大きな存在感に気づいてからは、父の生い立ちと、それが与えた影響について考えるようになりました

父親の"記憶"は子に遺伝する、という記事を読みかじったことがありますが(詳しくはサッパリ失念)

そのメカニズムはどうあれ、在り得るかもな、と思っています

実際には、環境的に、まわりまわって同じものを受け継ぐのかもしれませんが

もしかしたら、この哀しみはただの共感力(エンパシー)のなせる業で、生物学的遺伝も環境的背景もなにも関係のないことかもしれません

とにかく、今回のテーマはそのあたりのところです

そもそも何故、こんな哀しみがあるのでしょうか、いやあるべくしてあるのでしょうが



しかし哀しみ、をそのまま「哀しいよう!」と表現するだけでは救われないので

そこからの我々の生き方というか姿勢を見せることに意義があるのかな、と


話を父親のことに戻せば、

生い立ちがどうあれ、大人になった彼の心の中がどうだったのか、まったく判らないわけです

(傍目には、すこし短気であることを除けば なんの陰りもない陽気な人物にみえましたが)

もう亡くなっているので話をきくことはかないませんし、

もしもまだ生きていたとしたら、そもそも今私はこんなことを考えていないかもしれません

そう、こんなことを考えることじたい、「大きなお世話ちゃうか!そっとしといたれよ!じぶんヒマやろ!」と思うこともありますが

この大きなお世話こそが私の「愛」かもしれないなとも思います


つづく
by agatha2222 | 2015-03-05 23:40 | Project Beatlish | Trackback | Comments(0)
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