今日から34歳です。 お祝いのメッセージを頂く喜びを別にすれば、「誕生日の特別なかんじ」もしくは「ひとつ歳をとることに関する何らかの感情」はずいぶん前から無くなっていると思っていたけれど、 今日この日は怒涛のような気づきに溢れた日だった。 数字遊びと、 私と私の家族の関係と、 私の「企画」の新作「CANTATA BEATLISH」(=11/1上演予定)のクリエーションに深く絡んで、 「何故今頃気づいたのだろう?=今まで気づかなかったのだろう?」 と思ってしまうようなことが沢山沸いてきたので 備忘録に書いておこうと思う。 あくまで備忘録なので、説明不足は顧みない。 とても個人的な話をも含むが、書き記し公開することに意味があると思う。 信念あるダンサーなら、必然性があれば裸ででも踊るでしょう。 (私はダンサーではないのでもちろん無理) ダンサーでないのなら何なのか?実はよくわかりませんが、 「作品を上演」する者として精神的には裸で書こうと思いますし これを阻む理由もありません。 まず数字について 33という数字が好きでした ゾロ目が好き(縁起が良いので)・3の倍数が好き(美しい)という理由ですが、 今日、「コンプリート33歳」記念に改めて考えてみると、 三十三観音信仰、というのもあるし 33歳とはキリストが十字架の上で死んだ歳(そして復活)であると なるほど私も生まれ変わったような気分であるし それは信念新たに、ということでもあるし 生れ変わりたい(というか変わりたい)とずっと思い続けてきたわけだから。 「誕生日の前、一カ月くらいは運気が下がる」 と昔、母から聞いた憶えがあるが、 (先日このことを母に話したら案の定、彼女は忘れていた、というかそんな話は知らないと言った) 先月は、自業自得なこと・巡り合わせなこと・必要悪・ただの災難としか思えないこと含め、辛くヘビィな出来事が続き、 心は重く、進めようと計画していた作業は進まず(というかやりたくない)、 失敗を恐れた新作「CANTATA BEATLISH」も規模を縮小しようかと考え始めていた。 (、というような事は去年の誕生日にも書いた。) と、落ち込む一方で、 こういう下降線をたどる時期というのは一定の周期で必ず訪れるものだと知っているので、そのうち(多分誕生日がくれば)明けるだろう、 それまでは休暇だと思って(最低限の仕事以外)「何もしない」ことにした。 何もしたくなかった、が、何もしないではいられないので、 映画を沢山観た。 今年一月に引っ越した際、テレビを売ってしまったので、 パソコンでDVDを観るのは気がすすまないし、 どうせ(レコーディング等で)ヒマな時間もあまりないし、 と数カ月の間、家でDVDを観ることが無かったのだけど、 この機会に気になっている作品を手当たりしだいに借りた。 ちなみに引っ越し後の最寄TSUTAYAが思いがけず広大で、 以前は見つけられなかった作品も観られたのが良かった。 (映画の話になると脱線が長くなるので割愛) そう、つまりはかなり弱気になっていたのだけど、 人と、仲間と、友人と話すことで、 また先述の「映画休暇」の流れで、アレハンドロ・ホドロフスキーの自伝的著書を読んだことで、 じわじわと元気に、 また煮詰まっていた「CANTATA BEATLISH」の一場面についてアイデアを得たり、 疑い始めていた自分の信念を取り戻した。 「CANTATA BEATLISH」の制作は、今の私(の人生)にとって最重要課題であるから、 作品が動く(進む)ということは、私の人生も進んだ、ということだ。 これら、落ち込ませる出来事が起きなければ、成されなかった(かもしれない) と、「この世に起こることは全て必然で自分が望んだこと」だと再確認したところで 数の話に戻ると 調べると 33 は数秘術では「愛」や「神性」を意味するらしい。 なるほど、私の「企画」の前回作品「THEATRE BEATLISH」のテーマは「愛」であったし、 もっと言えば2013年の年初に構想を始めた当初のタイトルは "Love is God, is it true?" だった。(と言うとなんだか恥ずかしい) なるほど。 (雷は怖いねぇ、鳴る程) 出演者は3名だったし、 3 は「子供」という意味もあるらしい。 出演してくれた2人は成人でありながらも「子供」特有の美しさを持ち合わせていると思っていた。 この作品(THEATRE BEATLISH)を33の歳に作れて良かったと思う。 ...ではこの作品のスピンオフ企画?である9枚のCD制作についても、 33に何かを収めたほうが良いのか?と迷い始める。 一枚4曲入りで9枚なので、合計36曲、発表する予定なのだけど、 (今のところ5枚=20曲発表済み) 33曲に減らすとか… ちょうど数曲だけ、アレンジとゲスト選びに悩んでいる曲があることだし… でも9枚、にはこだわりたい。 、というのは余談... 「THEATRE BEATLISH」の流れを組んで、 でも別の登場人物・別の物語として作る「CANTATA BEATLISH」の出演者は、 3から4に増える。 上演は34の歳に取り行う儀式のようなものかもしれない。 4 という数字には「父性」の意味があり、 前作と同じく「母」が登場するものの、 この作品は、ジョン・レノンのスピリットに寄せた、 私の父のための、私の物語、なのです。 これらシンボル的な一致は、私が(意識的に)図ったわけではない。 もともと、「CANTATA BEATLISH」の創め、強くイメージにあったものは「死」であった。 カタチが出来てくるにつれて、そのテーマからは離れて言ったけれど、 最近、戻ってきた。 違う所から見ていた「死」がやっぱり必要なものとして違う形で戻ってきた。 それは、「死」んで生まれ変わる、再生のための「死」という概念 昨日から、11年前に亡くなった父のことを考えていて、気づいたことや思い出したことがある。 昨日と言わず、「CANTATA BEATLISH」制作を始めるにあたって、 父のことを私なりに理解したいと思っていた。 去年の暮れ、父の母に会いに行こうかと思い立ったが、3年前に亡くなっていたことが判った。 年齢的にそういうことはあり得ると思っていたけれど、残念だった。 父と娘の私は、似ている部分が多い。 兄妹3人居るが、私だけが父と「対決」した。 昨日、気が付いたことは、 一連の数遊びで、父の運命数(生年月日の数字を全て足し、二桁になったらその二つの数字も足して割り出されるというカバラのあれ)を調べたら、私の数字(8)と同じだった。 ちなみに12月8日はジョン・レノンの命日であり、私の母の誕生日でもあり、この日付には非常に拘っている。 私が思うに8は3と3を合わせた形であるし、(つまり33の別のカタチ) 無限のマークを縦にした形であるし、 漢字にすれば末広がりの「八」は日本でも縁起が良く 中国では繁栄を意味する数字として扱われる (どこかで「だから何?」という声がする) あともう一つ。 私の本名は父が付けた名前なのだけど、 その名前が、幼少の父から両親を奪った(極悪な)女の名前と似ていて、 命名当初は父のたくさんの叔母達から「その名前は止めろ」と言われたらしい。 その話は子供のころから知っていたけれど、今まで全く気にしていなかった。 が、今、改めて思う、 何故その名前をわざわざ選んだのか? おそらく無意識で? このことは、ホドロフスキーの自伝を読んでいて気がついた。 「...神経症の霧のなかで、私は息子に二つの名前をつけた。 私の人格(アレックス)の正確な模倣となるようにアクセル、 そして新世界を発見するようにクリストバル・・・ アクセル・クリストバルはこの二つの願望のもと、二つの人格を抱えて育ったようだ」(p.422引用) 「子供に不吉な名前が、たとえば生まれる前に亡くなった兄の名前や、 自死した親戚の名前が、知らないうちに与えられている場合、 改名を助言する」(p.426引用) だとすれば、私が19歳のとき、芸名として新しい名前を自分に与えたことは正しかった。 「あがさ」には、音声的に「あ」の母音は発音しやすい、という理由でつけたまでで、 何の意味も付与されていない。 私を表す以外には何の意味もない。 ところで、数秘術のような、オカルト的・スピ系(と呼ばれる)の話をすることには、少し葛藤がある。 自分にそれほど知識がないということもあるが、 「スピ系=女々しい、 女々しい=恥ずべき」 という固定観念が私の中にあるようだ。 纏まらないけど、この話はまだ続く。 まだまだつづく。
by agatha2222
| 2015-06-10 23:21
| Project Beatlish
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