数字の妙(もしくは無意識の粋の計らい)の続き。
数日前に気付いたことだけど、 今年の7/2(もう再来週)は父の十三回忌だった。 (母からは事前に何も聞かされぬオー自由な我が家) 没後満12年が、13回忌、すなわち 12+1=13 やっぱり13づいてるナウ! かつ前投稿で言及したとおり、 "49" CANTATA BEATLISH edition EPs Release Live"@喫茶茶会記に来て下さったお客さんが12名だったので、 (お客さん)12+(私)1=13 13 インダハウス!(ハウスっつうか部屋) 13って、安定!!の12(2×2×3→めっちゃ分解できる、かつ12カ月、12の干支、12星座etc.)に1を足した、不安定な印象を受けます。(あくまで私個人の印象です)。 ひとつのサイクルが終わって、新しい展開へ一歩踏み出す、始まりであるからこそしんどい地点。 13から連想される「死」も(魂にとっては)新しい展開で、まさしく終わりと始まり(はじめはおわり)なのだね。 で、父の十三回忌については忘れていたのに、 数ヶ月前から私は父の実家があった和歌山県田辺市に来月(7月)へ赴く予定を立てていたのでした。 里帰りというわけでもなく、和歌山じたいが何年かぶりで、田辺市じたい一人で訪れるのは初めてなのに。 田辺市内の熊野大社や熊野古道を歩いて、南方熊楠顕彰館(父の実家は南方熊楠の家の隣にあったんです)を訪れたりしようと思っていました。 無意識の粋の計らいかしらね~ 十三回忌がひとつの区切り、ということですが、 先日みた夢のあとに考えていたんです。 私の中に居る、もしくは守っている「父」を、自分自身から切り離してよいのではないか?ということを。 生かしておいても(忘れないでいても)いいけど、同一視するのを止めたら?と。 最近、アレハンドロ・ホドロフスキーの自伝(去年、"CANTATA BEATLISH"の制作を止めてしまおうかとまで悩んだ時に読んで、たいそう救われました)を最近読み返していて、ハッとした一文がありました。 、、、、 、、、、 、、、、 (その一文が見つからない。。。) とにかく、「(家族を含め)死者たちは私たちの記憶の中のある場所で生き続け、私たちの生き方に影響を与え続ける。その影響を認識し、死者たちを自分自身から分離して初めて、私たちは自分自身の人生を生きることができる」 というような内容だったと思う… 違ってたらごめん… (見つかり次第、加筆修正します。) というか、そのようなことをぼんやりと考えていたからこと、「リアリティのダンス」を読み返していたのですが。 このことを受け入れたとすれば、"CANTATA BEATLISH"の出発点(まえがきに書いたとおり)からすると、大きな発想の転換であり、進歩です。 かつ、思い返せば当然の結果ともいえます。 "CANTATA BEATLISH"制作がスタートしてから公演が終了するまでの一年以上、そのテーマを掴んだ掌をずっと、ぎゅっと握り絞めていたようなもので、反作用による弛緩(解放)から、執着が消えるだろうと。そう予想していたとおり、公演が終わったら父のことは考えなくなりました。(もういくらなんでも考えたくない) 「出発点」についてもっと言えば、 "body:language#1 The Mythic Body: Guy Cools with Sidi Larbi Cherkaoui"から「まえがき」に引用したシディ・ラルビ・シェルカウイのインタビュー(...so I was like, how can I not become like him?, when, actually, I'm a reincarnation of my mum and my dad. /...僕は母と父の生れ変わりなのに、父に似ないでいられるわけがない)の後には、 "(中略)When you lose someone it is very important in the family to restructure, to find out 'who does what?' Because if you don't restructure, you lose a function - you lose the father element, which can be an energy. It can be done by anybody. It does not have to be your father. It just has to be done. When my grand mother's coffin went down and I saw the ending of it, I also felt a lot of energy. I felt like 'I am her now, I have to take up this role'. It felt like energy that I was given, not energy that was taken away from me." 、と続いて、初めて読んだとき私は「はあ、そういえばそうだな…」と気付き納得したのでした。 長いですが↑をおそるおそる訳すと、、 (引用訳)「家族の誰かが亡くなった時は、家族を再構築する必要があります。誰が、どの役割を担うのか決めるのです。再構築しなければ、父親の要素(またはエネルギー)を失い、家族の機能を失ってしまうでしょう。誰が(その役割を)担ってもいいのです。父親でなくてはならない、というわけではありません。ただ、成されればいい。(僕の祖母が亡くなった時)祖母の棺が墓に沈んでいくのを見届けたとき、僕は大きなエネルギーをも感じうけたのです。『僕は今、彼女(祖母)だ。この役割を引き継がなくては。』という気持ちでした。与えられたエネルギーを感じたのです。取り上げられたエネルギーではなく。」(引用訳おわり) 共感いたしましたのよ。ハァ~ 今でも同感です、ただその気づきと私自身の変化は過去のものです。 (ハイここで棺by油絵博士の写真を) (蓋も) photo by bozzo で、話を現在に戻します。 自分の無意識を理解して、切り離せたとして、 切り離したあとの私は何なんだろう、(それこそ光り輝く神的存在!とか言うけど、とてもそこまで成熟していませんから)とやや不安な気持ちもあるけれど、 とりあえず今は直感的な強い願望に従って、「自然のただなかで、~べきこと等何も考えず、誰にも会わずに過ごしたい」と思っていて、 (つまり、赤から緑へ、ということでもある) 多分それは正しく、必要なこと。 いけばわかるさmaybe チョッキンチョッキンチョッキンナ 長くなってしまいました。 繰り返しますが、これらは個人的なた・わ・ご・と☆です。 が、プロビーの大きな構成要素というかソースというか本質でもあるので、包み隠さず(けむに巻きつつ)書くことにしています。 で、やっぱりここでも漏れなくちなんどくんですけどね、 父は申年生まれで、私はその一つ後の干支の酉年生まれです。 (今年は申年です) 12(×α=数サイクル)+1=(αが1の場合)13 というわけだ!(どういう?) 彼の人生を生きるのではなく、彼の人生の次を(継ぐのでもなく)行くということでしょうか。 こじつけにも程がありますが、いつかハハーンと解る日が来るかもしれませんmaybe PS. そして、この記事をアップした瞬間、Facebookが「今日は父の日です(6/19)!」とお知らせしてくれた。 (書いたのは6/16だけど例の引用文を探し続けそして見つからずアップしするのが遅れたというわけ) ハハーン
by agatha2222
| 2016-06-16 02:11
| Project Beatlish
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by あがさ カテゴリ
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