つづきまして、大阪・天王寺から阪和線で和歌山へ下り、そこから母の車で熊野街道沿いの湯の峰温泉へ。 小栗判官蘇生の地。 ここのお湯はわりとフツーな硫黄の匂いのする透明なお湯でした。 翌朝は熊野大社へ詣でまして、 「幸福おみくじ」が気になりましたが200円が無くて引けませんでした。 でもソフトクリームを買う350円はありました。 レモンさんおすすめの「つぼ湯」にも入るぞと思っていましたがうかうかしている間に車で通りすぎたのか見つけられませんでした。 母曰く「死んでないから別に(入らんでも)ええやん、死んでたらどぼんとそこに浸けんならんけど」。 まあまた機会はいくらでもあるでしょうから後のお楽しみにということで。 雨の降るなか墓参りを済ませ、白浜のとれとれ市場で昼食など、 べにばえ(蜜柑)の間に覗く広告を気にしてみたり、 大きな水槽にスイミングスクールの思い出を喚起されてみたりしました。 南方熊楠記念館は海岸沿いの庭の中にそびえるモダーンな建物で、 昭和天皇が熊楠を思って詠んだ歌。 その後、母の運転する車内でQueenのCD等に併せて熱唱しつつ(音頭の練習やってるのを聴いていると眠くなると母が申すもので)和歌山駅へと戻り、特急くろしおと新幹線を乗り継いで東京へ戻るわけですが、 大阪で唯丸師匠の1982年のライブ音源で「俊徳丸」を聴かせてもらったところだったので、 さっそく説教節の「信徳丸」の解説本を車中で読んでいましたら、 「…清水の御本尊は、虚空よりまたお告げして、『やあいかに信徳丸、御身がようなる異例は、これより熊野の湯に入れ』と教える。信徳丸は湯に入らばやと思い、四天王寺を出て熊野へ向かう。…」(水上勉『説教節を読む』) …ってこれ昨日のワシのルートやがな!!! 「小栗判官」のお話もそうですが、「蘇生」または「蘇り=黄泉還り」といえばやっぱり、熊野なんやなぁ、とか改めて思った次第…。(信徳丸は死んでないけど、継母の呪いで両目を潰され四天王寺に捨てられてしまう) 2016年にも熊野を訪れたんですけど(って和歌山に帰省しても他に行くとこがあまりないからしばしば行くんですけど…)、 そもそも、熊野(和歌山)が黄泉の国として、古代の日本人は「一度死んで生まれ変わってくる」覚悟で和泉山脈以南(=闇ニッポン)に赴いた、そして生きて都に戻ってこれた暁には周りの人々はキツネのお面を被って祝いの舞いを舞って迎え入れた…、 みたいな話を(多分だいぶ記憶が捻じれているかもしれませんが…)、旧「そら庵」の東海さんに生前、教えてもらって(適当な手踊り付きで…)興味が向いたってことがあったのでした。 わたくしほんとモノを知らないもので。。。 それでもって東京に戻ったら、四年ぶりの大雪。 帰宅ラッシュのピークを過ぎていたので、電車は楽勝で乗れましたが、最寄駅から雪道をスーツケースを引いて行くのがなかなか大変でした。 四年前のこんな雪の日のことを思い出したり。 まあ、今日のところは思い出話はこんなもんで。
by agatha2222
| 2018-01-25 20:58
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by あがさ カテゴリ
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