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永い永い臨月

アルバムのタイトルは、「ラーフラ」にしました。
ラーフラ、パーリ語とサンスクリット語でRāhula、
日本語だと「羅睺羅(らごら)」と呼ばれてます、釈迦の実子で弟子のひとり。

なんと大それた名前をつけたもんだ!(どんだけ!)とは、自分でも思いますけど。
もともと別のタイトルを考えていたんだけど、それも人の名前だったりするんだけど、あるときふっと思い出してね、「ラーフラ」という名前を。それでアッと思ってググったら、知らなかったエピソードを見つけて、なんか我が子(あ、アルバムのことで)にぴったりくるんじゃないかと思っちゃって。

小五のときに初めて読んだ手塚治虫の「ブッダ」(たぶん、1巻)にあるシーンでね、
出家前のシッダールタに嫁のヤショーダラが懐妊を告げたところ、その時にはもう家も国も(王子なので)捨てて真理を求めて修行するぞ!(修行するぞ!修業するぞ!)と決めていたシッダールタが、「子供ができただなんて、ラーフラ(障碍)だ!その子にはラーフラ(障碍)とでも名付けるが言い!」とかなんとか言い捨てるとこがあるんだけど、
子供心に「ええええー!?」て思ってね、ショックでね。
えーそらあんたからしたら邪魔ものができた!ってかんじやろけど、嫁ひとりで子供こさえたわけちゃうやろ~(具体的にどうするかは多分その頃まだ知らなかったと思いますが)、子供はなんも悪くないのにー、ひどくなーい?ひどくなーい?シッダールタ、ええ奴ちゃうん?主人公やろ、ええもんやのに、コレはアリなん?
、、とかって大いにざわついて、心に深く刻まれたのでした。その時。
(ラーフラ名付けの由来については、他にも「月食」という意味であるとか、諸説あるようですが。)

そんで、腹の中のラーフラが、父親に拒絶されたからかどうかは知らないけど、腹の中に6年もとどまって、シッダールタが菩提樹の下で悟りを開いてブッダとなった日にやっと産まれた、という。

私のことに話を戻せばね、なんかね、このアルバム、ほんまに出せるんやろか?えらい長いこと中におるけども…録りはじめてから、というだけでなく、作ろうと思ってから、さらに曲を書いたころからで言えば、10年20年近く経ってるのもあるし、永い便秘でもう何も食べたくないわ(比喩ですよ念の為)、、みたいに思ってた時があって、去年の初秋のころ。腹の中に何年も居る、居座る、産まれるの拒否ってます!というエピソードと繋がった感があって。
歌がなかなか歌えないし、歌う気になれないし、なら作らなくてもいいじゃない?って言われそうなんだけど、自分としては、出さないといけないっていうか、できてしまったものは、途中で棄てるとか体内吸収(同化?)とか出来ないししたくないし、やるしかない重たい宿題、のようなもので、出せなたら自由や軽さが手に入るんじゃないか、また書きたいものが見えるようになるんじゃないか、と。もう、言葉は悪いけど、障碍とか足枷とか、そういうニュアンスがぴったりくる。歌われている内容も、そんなかんじだし。

あと、曲の中にも、いくつか、重なるなぁと思うフレーズとかあったりしてね。
だからもう、これっきゃないだろうと…。

で、じゃあ産まれたのはいつなんだろう?釈迦成道の日?
ってこないだ調べたら、知らなかったんだけど、成道会(釈迦が悟りを開いた日)って12月8日なのね…。
ジョン・レノンの命日やないけ!
そんで私のおかんの誕生日でもあって(真珠湾攻撃開始の日でもありますが)、わたくし個人的にこの日付に拘り続けていたはずなのに見落としていたわね…っていうか因縁めいとるやないけ!

因縁ついでに話してしまうと、
ラーフラ(障碍)と名付けられて、本人、おまはん、どうよ?どう思うよ?とか、つい考えてしまうんだけど、翻って私自身の未消化のエピソードも思い出されたりして。
私のほんとの名前(「あがさ」じゃないんですけど)、父親が付けたと聞いてたんです。小一の最後に文集をつくるってんで、「わたしがうまれた日」みたいな作文を書かなくちゃいけなくなって、親に聞きこみ調査をしたときに。梅雨の晴れ間だったので明るい子、とかなんとか。で、その名前が、祖父の後妻、これが極悪だったんですけど、つまり父から家族を奪って行った女の名前と似ているというので、大叔母連中からは止めとけ!と猛反対されたのに、コレが良いって、付けたと。そのことについて、子供の頃も大人になってからも、何も思うことはなかったんです。
が。2年くらい前に、ホドロフスキーの自伝(リアリティのダンス)を読み返していて、「意識的にせよ無意識にせよ、子供に亡くなった家族と同じまたは寄せた名前をつけることは、その亡くなった家族の生き方を子供に押し付けることになるからよろしくない(私自身もー神経症の霧の中でー間違いを犯した)」みたいなことを書いてるのを読んで、あ、そういえば?って初めて思った。(ってこの話、前にもちょっとした気がする…)父と私は衝突することが多かったし、我々ははじめから「敵同志」と宿命づけられていたのか?とかなんとか、ちょっと匂ってきたわけ。

なので、その後、その疑問?が晴れないかと思って、母に(父はもう生きてないので)自分の名付けについて聞いてみた、太地町から和歌山市に帰る電車の中で。
そしたら!ぜんぜん違う話が、返って来た…。まず、名前を付けたのは母だと。母が子供の頃、近所に○○ちゃん、▲▲ちゃんっていう姉妹がいて、可愛い名前だと思っていて、自分の子供には(女の子なら)その名前をつけようって思ってたんだ、っていう話に変わっていた。
母は意図的に嘘を言っている?やさしいうそを?という可能性もなくはないけど、どれも嘘ではない、ってことかもしれない…だいたいこういう話は曖昧…。お母さん、ちょっとぼけている?まあどっちかというと、昔からぼやけたところのある人ではある。その後姉にこの話をする機会があったけど、姉の方もそんな話=母による新出逸話は初耳だって言うし、まあ私自身の記憶がねじ曲がっているわけでなければ特に心配することはないんだけど。
ま、嫌な名前に似ているといっても、子供の頃に家で呼ばれるのは殆どあだ名だったわけで、そうしたら音感とか全く違うし、こういうことみんな、考え過ぎなんだろう。
が!因縁めいた話やこじつけ・拡大解釈が大好きな私としては考えちゃうよ~!
あれですね、母の口から私の記憶と違う話が出たってのは、「もうそういうことは考えなくてもいいから~」という意味だったのかなとか思った。

今日はこんなとこで。名付けにまつわるお話でした。


by agatha2222 | 2018-03-24 17:03 | Project RAHULA | Trackback | Comments(0)


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