with "CT" by my side.
ここからはあくまで個人的なつぶやき。 父の命日も7月。もう14年も経つので、しんみりするどころかあの人は本当に存在していたのだろうか?というような頼りなげな感覚を抱いてみたりみなかったり。何事にも、いやほとんどのことに対して自分は「実感」の薄いタイプなのかもしれませんが。しらけ鳥。 父が亡くなったとき何を思ったか、感じたか、そこからどう変わらざるを得なかったか、迂闊に書くことはできないのだけど、今日はただ「デスマスク」の思い出について。59歳のうるさい顔のうるさいおっさんだった人が、三十路手前の美青年に見えたこと。 病気で亡くなった父は痩せて、いよいよ死期が迫ると鼻の肉まで落ちていた。横になっているものだから顔の皺は伸びていて、抗がん剤の副作用でグレーだった髪は真っ黒になっていた。毛量はもともと多い。それらの変化で、経帷子を着て横たわる彼は私が実際に見たこともないほど若く、あと美しく見えた。なんとも言えない不思議な感覚。ドラえもんかバックトゥザフューチャーの世界に居るような。写真を見ればわかるが、私が産まれたころには彼は既におっさんの形相を呈していたのだから。なんというか、大じわの多い老け顔なのだ。7歳くらいのころ母に「なんでお母さんはお父さんみたいなおっさんと結婚しようと思ったん?」と尋ねたことがある。恋愛というものはカッコイイお兄さんとするものなんだと幼いころはなんとなく思い込んでいた故の、素朴な疑問だった。お父さんも昔からおっさんだったわけじゃない、というのが母の答えだったけれど。それはさておき、死を前に若返りを果たして、これからどうするんだ?という感じだった。あと数日後には焼かれて灰になる入れ物。魂?が抜けるとこんなにもはっきりと「物」になるのだ。造形物として、焼いてしまうのはもったいないなあ、と思った。形作られはじめてここまで約60年。これ以上のアートワークがあるのかと。せめて写真でも撮っときたい、と思ったけれど、不謹慎かもと遠慮した。遠慮などしなくてもよかった。焼かれた後には、おおきな大腿骨が残った。これも砕いてしまうなんて、もったいないなあと思った。「そのまま持って帰っていい?」って訊こうかとも考えたけれど、まあ持って帰ったら帰ったでそこからどう処分するのか困るのだろうし、墓地埋葬法とか、そういうのに引っかかるだろうと思ってスルーした。そして粉末状になった。しばらく家ではそれ(遺骨)を「ッボーン」(Bは破裂音強めに発音する)と呼んでいた。ニュアンスとしては村上ショージの「ッドゥーン」に近い。不要なディテールだ。それも今はどこにあるのか、菩提寺の納骨堂にあるのか、興味もない。
by agatha2222
| 2018-07-26 13:12
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by あがさ カテゴリ
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