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バベルについて云々とか

前回の記事「サラヴァ東京Show Caseレポ②」を書き記しておこうとは思ってるんだけど、最近のぐだぐだについて書いてもいいかな?
うん、いいよー^^

以前の記事で「シェルカウイ追っかけの旅を夢想中」と書いたのだけど、
早速5月に、「Babel (Word)」という舞台作品が韓国・ソウルで開催されるダンスフェスティバルにて上演されるので、観に行く計画を練っていた。

「Babel (Word)」という作品は、シェルカウイの「Foi」(発音はフォワ)、「Myth」(発音はミス)に続く三部作の集大成ということで絶対観たい、、、ソウルなら福岡行くくらいの感じで行けんじゃないの?と。

しかし、鑑賞チケットをとるだけで一苦労。。。
ダンスフェスティバル主催者?にE-mailしてとりあえず、予約はできた。指定席も確保。
で、代金は振込してください、と。
いついつの期間に購入すれば、代金は三割引きになりますよ、と。
「クレジットカード(もしくはペイパル)」は使えないの?と訊いたものの、それについて回答は無し。

(ソウルの銀行口座に)海外送金なんてネット上で簡単にできるだろ、と甘く見ていたものの、
ネットバンクではできない、、韓国の銀行と取引がないみたい。
できたとしても、書類を送って登録されるまで一週間待て、と。

じゃあ銀行窓口へ、ということで、午前中休みにして銀行へ。
海外送金なら、とATMの横にある電話ボックスみたいな所に案内される。
電話ボックス(仮)使用中だったので、一時間ほど時間をつぶして再度トライ。

電話ボックス(仮)でテレビ電話にて、手続きスタート。
「中の人」に色々教えてもらう。
まず、振込先の情報が足りない、しかも銀行名の英語表記が間違っている、、
さらに、海外送金の手数料として、日本の銀行と韓国の銀行に払う分を合わせて一万円くらいになるよ、と…。
…3000円足らずのチケット買うのに、一万円の手数料は払えません!!

とりあえず、海外送金は取りやめ。
そうだ、そう、私、昔、銀行で海外送金を取り扱う部署で働いてたことあったわ…海外送金は金かかるしメンドクサイんやった…。全く忘れてたわ。

だからキャッシュカードというものがあるのじゃないか!
ダンスフェスティバルのウェブサイトをもう一度よく見てみたけれど、「チケット購入」っぽいページはすべてハングルで書かれてて、もちろん読めない。

まさに、ああバベルよ…、、近くても韓国はやっぱり「外国」だー
と思ったところでウチの窓の外を見やるとそこには「スカイツリー」がでーんと。(墨田区在住)
おおまさにバベルの塔…
Wikiとかでよく見る、あの絵を書いた人は、本当にこんなデカイもんが建てられる日が来ると信じていただろうか?なんて考えたり。

脱線。
で、チケット購入の為には、クレジットカードが使えないのであれば、予約だけ残しておいて貰って当日その場で支払うことができるかどうか質問しなきゃなんだけど、
最近はちょっと面倒くさくなってきて、数日間放置中。

フライトとホテルも、安いツアーを幾つか検討しているものの、
一人旅だとちょっと割高なんだよねー。
この「Babel鑑賞の旅」にかかる費用をカットすれば、アホンホーからアホンゴーに(iPhone4からiPhone5に)鞍替えできるなー、と思い始めたり。
電話会社の契約期間満了のタイミングで、割引価格でせしめたいなぁと思ってるんだけどー。

などとヒヨりはじめた。
疲れるしさー。

...で、ヒヨヒヨひよりつつ、浮かない数日をやりすごして、、、


3/30 小㞍健太×KENTARO!! 「テラスキニ」を観に行った。
ルーツの全く違う、同じ歳の、同郷の二人。
ダンス、ダンス、ダンス!

3/31 円盤ジャンボリー@渋谷O-nestを観に行った。
音楽で世界旅行!!
円盤ジャンボリーの前に、最近出会ったタップダンサーの方と会っておしゃべりしまくった。
「エリスのCDとアリスのDVD」を押しつけた。
(Elis Reginaのコンピアルバムと、以前BSで放送された英国ロイヤルバレエ団の2012年新作・「不思議の国のアリス」の録画DVD、ね。エリスとアリスってアリストテレス、みたいだよね。)

二日間で充電されたぜ!!
詳しいことはまた後日。
おやすみなさい~~

**********
地味に宣伝活動を続けているシェルカウイの作品↓

「Zero Degrees」の動画
http://www.youtube.com/watch?v=1g5fLgsSQWU

「Babel (Word)」の動画
http://www.youtube.com/watch?v=77A7c2tsTlk

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by agatha2222 | 2013-03-31 23:40 | Travel (Dance) | Trackback | Comments(0)

サラヴァ東京"Show Case"レポ①

うそ、全然レポートじゃない、これは、ただ思ったこと。。。
3/26、渋谷はサラヴァ東京という素敵なお店のオープンマイクイベント(要・事前エントリー)に参加させていただきました。
超絶楽しかったです。沢山笑かしてもらいました。

イベント・ホストのソワレさん、ゲスト司会者&審査員?の坂本ちゃん、シャンソン歌手のケンケンさんをはじめ、沢山の「おネェ」さま達に出会いました。

これまた最近考えていたこととリンクして、この夜は、偶然?必然?と感慨深くもあり。
有難く頂いた「アンコール」では、その思いとリンクしたオリジナル曲を歌わせてもらいました。

「おネェ」さま達、と一括りにするのは失礼かと思うけど、、、
ホモセクシャルとは、もう一つの性のあり方、というか、拡大解釈するなら、「(大多数の)人と違っていること」。
相手・環境によっては、受け入れてもらえないかもしれない、自分の中のある「目立つ」要素。
その葛藤を乗り越えてきた(もしくは乗り越え中)という事で、彼ら/彼女らは何かを学んでいると、
そのことだけで、私はプラスアルファの敬意を感じてしまう。

これまた何度も何度もその名前を出しているわりに誰も「あー知ってる、いいよね!」と言ってはくれない振付家/ダンサー・シェルカウイも、ホモセクシャルです。

(…シェルカウイはこの五月にパリ・オペラ座バレエ団(世界三大バレエ団のひとつ)のトリプル・ビル公演の為に、ベジャール、ニジンスキーに並んで「ボレロ」を新作振付とのこと!!ダミアン・ジャレとの共作。もはや時代を代表するコレオグラファーだ!!っと叫んでみる。だから何?って?)

そんな個人情報、バイオグラフィを知る前に私は彼(シェルカウイ)の作品/世界にハマったのだけど、(ハマったからそこまで知ろうとしたわけで)知ったところで、そのようなバイオグラフィは彼のモノの見方に大いに影響して、それは作品に現れている、そんな部分にも私は惹かれているのだなと思った。切っても切り離せないものだと。

じゃあどんな、バイオグラフィ?ということで彼のインタビュー内容等をすこし要約して引用…
(正しく訳・引用できているのかとても不安…)

 フラマン人(ベルギー)の母と、モロッコ移民の父の間にベルギーに生まれる。
 15歳の頃に両親は離婚、母の元に暮らし、本格的にダンスを始める。

「四歳上の兄は父にとって"本当の"息子だったけれど、僕は父の望む息子ではなかった。その分、母はより僕に愛情を注いでくれたように思う。そんな三角関係?は僕のモノの見方に大いに影響を与えた」
「アラブ人の名前のせいで、クラス替えのたびに自分の生まれについて周りに説明する必要があった」
「いつも兄のお下がりを着ていたため、僕の服装はダサくて、それがイヤで、どうにか周りと同じように見えるようにと努めたけれど、うまくいったことはなかった」
「…ある時期は、"よし、僕は一生勉強だけして過ごそう"と考えたよ、なぜなら男の子に恋することは許されないことだったから。それは僕の両親が、僕が住む町の誰もが、望まないことだったから。」
「...ヒトとしてのある要素(特徴)は、別の要素(特徴)をよく脅かす。本来は、それらの要素(特徴)は独立していて全く関係がないのに。たとえば、僕は学校で良い生徒だったけど、アラブ人だから泥棒かもしれない、とか、"彼は正直で親切なイイ人だけど、ホモだからねぇ..."とか。」
「僕は"理解されたい"のだと思う、理解された上で、賛同を得られないなら、それでいい。ただ"理解してもらう"ということは、僕が試み続けていること」


長々と引用しちゃってごめりんこ、なんだけど、
それから何を私が考えるかというと、

こんな状況、はさぞ居心地が悪かろう、と。
しかし、居心地が悪いから、どうすれば居心地が良くなるか考える、
自分のことを理解してもらえないなら、どうすれば理解してもらえるのか考える、
理解してくれない人は、なぜ理解してくれないのか、相手の立場に立って考える、
反対側の立場に立って考えてみる、
そんな、色んな視点から物事を見る、というような考え方が身につくのではないか、と思う。
身につけてそれを生かす前に、クサってしまう人もいるかもしれないけれど。

「...ヒトとしてのある要素(特徴)は、別の要素(特徴)をよく脅かす。本来は、それらの要素(特徴)は独立していて全く関係がないのに。たとえば、僕は学校で良い生徒だったけど、アラブ人だから泥棒かもしれない、とか、"彼は正直で親切なイイ人だけど、ホモだからねぇ..."とか。」

この話は、私自身にも重く響く。
私は、自分のことは受け入れられたいと思っているくせに、
「こういう奴は嫌い」とか、
「何人(ある国民性として)は嫌い」とか、
口に出さずとも思っていることが、思ったことが、ある。
そりゃ、好き嫌いはある。

でも、よく考えれば、
もう一回り大きな輪で世界を取り巻いて見つめてみれば、
他人を許せない(=嫌い)、ということは、
自分をも許せない、ということ、
なんだと。

話がデカくなってしまうけれど、最近考えていたことの一つが、
「無条件の愛」について。
インドの言葉で言うと、「プレマ」というそう。
執着ではない、怖れや損得勘定の伴わない、絶対的な愛について。

これはインド起源の考え方だと思うのだけど、
私が観ているこの世界は、自分の心(思考)が映し出しているだけにすぎない、
出会うものすべては、世界は、鏡に映った自分自身、
だから、この世界は私そのもの、
(外の)世界を愛せなければ、
自分をも愛せなくなる。
自分が幸せかどうか、不幸せで寂しいかどうかは、
愛があるかないか、であり、
愛とは本当は「プレマ」なんだと。
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by agatha2222 | 2013-03-27 14:03 | Other | Trackback | Comments(0)

2013年3月末までのライブ まとめ(随時更新)

3/9(土) 13:00 open 13:30 start
charge: 1,500 (incl. one drink)

place: 歌舞伎町ゴールデンエッグ
http://www.g-egg.info/top.html

五組出演の土曜おひるイベント、
私の出番は五番目です。
15:50~16:20
→終了しました!

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3/26(火) 19:00 open 20:00 start
charge: 1,000 yen (incl. one drink)

place: Saravah東京@渋谷
http://l-amusee.com/saravah/

Show Caseというイベントに出させて頂きます。
1組10分、という持ち時間。
私の出演時間は未定です。

イベントの概要↓
http://l-amusee.com/saravah/schedule/log/20130326.php

→終了しました!
by agatha2222 | 2013-03-26 22:55 | Live Schedule | Trackback | Comments(0)

ドードー巡り

ずいぶんブログの更新をサボったな、と思っていたけど、よくよく見ると前回の投稿から三日しか経っていない。
まったく自分のアタマ時計はどうなっているのやら。

最近、すこし調子が悪くて、そういう時はとくに「(ブログに)自分のことばかり書いて恥ずかしい」とか「馬鹿丸出しだ(アホは別にいいのですが馬鹿はネガティブ)」とか「消してまえ!」とか考えるのだけど、
毎回同じ思考を一周して、最終的には「馬鹿上等!」という結論に落ち着くのでした。

調子が出ないときは、お掃除だ!ということで、昨日は遅い(遅すぎる)歳末大掃除を実施。
白状するならば、去年、一昨年と不測と予測の事態から年末の大掃除は大幅にカットしたため、もろもろの隅っちょとか、かなり汚れていたのです。。。

さらに、以前、ストーブを点けっぱなしで二度寝してしまったがために焦がしてしまった羽根布団の焦げ穴を、やっと修繕。要らなくなった囚人服柄(つまりボーダー)のTシャツでパッチを充てる。

で、掃除のお陰でお手手が荒れまくり。明日はミニ・ライブなのに、爪もボロボロ。(なんとかなるさ♪)
ゴム手袋はあるのだけど、どうもこれを着けての手作業、というのが嫌いというか苦手で。

素手上等!

素手上等といえば、ギターを触りはじめた頃からどうしてもピックを使うことが好きになれなかった(=上手く使いこなせるようにならなかった)ということも同じ嗜好によるのかな、と、
道具を使うスポーツもあまりやってみたことがないし。

で、話は戻って、調子が出ない理由の一つは、先週まで新しい人・旧友含めて沢山の人に会う機会が多かった(つまり遊びすぎ)のでそれなりに(遊び)疲れてしまったのかな、と。
(あ、でもこれからも誘ってくださいネ・・・)
そういうときは、堂々とひきこもる。文字通り毛布にくるまってシェルカウイ等のDVDを繰り返し観まくる。
どうやらワタシはシェルカウイ本人に自己投影してしまっているようだ。

話は流れるままに流れるが、そんなシェルカウイ振付の舞台(本人は出ないですが)「Babel」を観るため、5月に初めてソウルまで行くことにした。
大丈夫かなぁ~、、っとヒヨりつつ、久しぶりの一人旅。
なんせ方向音痴・優柔不断(とくに何を食べるかについて)ゆえ、みっちり計画を立てて、「旅のしおり」を作ることにした。

シェルカウイといえば、彼がダンスを始めたキッカケになったのが、13歳のときに観たKate Bushの「Running Up the Hill」PVらしい。その後も特にダンスの教育を受けぬまま、TVを観てマネするだけで踊れるようになり、15歳からベルギーのTV番組で歌手のバックダンサーとして踊りはじめるという天才ぶり。

ワタシもKate Bushが好きだったので、そういうエピソードがちょっと嬉しかったりして。
で、昨日は思いだしたようにKate Bushの映像をYoutubeで探していて、初めて彼女のデビューシングル「嵐が丘」のPVを観た。

http://www.youtube.com/watch?v=BW3gKKiTvjs

・・・エキセントリックと称されても仕方ないな、、という感想…。
「感想」は書いても「批評」じみたことは書かないようにしよう、とは思っているのだけど、、
だけど、、
寒い。寒すぎる。
ちょっとがっかり。

あらためて観ると、Kate Bushは叶姉妹(姉+妹÷2)に似ているな(Kateは天然だけど)と思う。

…ほんと、くだらないこと書いてるな、じぶん。
いいさ、馬鹿上等!!
by agatha2222 | 2013-03-25 17:24 | Other | Trackback | Comments(0)

脱線:じゃあ、ブラジルは?

「考察というほどでもないが」シリーズからは話が逸れるのだけど、、、

インド・ラブ(ってほどじゃないな、まだ…)についてばかり語ったので、
もうひとつ、私にとって大事な「ブラジル音楽」への出会いについて、少し書きます。

自分のライブでは、オリジナル曲とMPB(ムジカ・ポプラ・ブラジレイラ)、とくにワタシが最も好きなブラジル人歌手、Elis Reginaが歌ってた曲のカヴァーとか弾き語っているので、全然まだまだ知識は浅いのですが、「ブラジル音楽」に足をつっこんでいることは確かです。
いや、まだまだこれから勉強さしてもらいまっさ、という態度でいるのですが。

音楽の場で出会った人々に、「MPBを始めたキッカケは?」と尋ねられる機会も多いので、すこし思い出話を。

…なんだかこのブログのネタは、ワタシの思い出話や考えていることが多いですね。ワタシは、自分のことを「理解されたい」のだと思います。その事実を、否定しようとして「自分」なんてないさ、シャララ~ンと生きていた時期も(シャララ~ンって何?)ありましたが、根本的なところで自分は変わっていないのだな、と最近思います。余談。

徹底的に遡れば、「ブラジル音楽」との出会いは、18歳の頃、某ディレクターに自作曲の批評を貰ったり、聴いておくべきアーティストのアルバム等のアドバイスを頂いていたのだけど、
その中に、小野リサ、があったのです。
初めて買って聴いてみたのはアルバム「DREAM」。
文句なしにカッコいい!(ワタシにとって)新しい!と思いました、そのサウンド。
が、まだその頃のワタシにはボサノバの複雑に思えるギターコードを正面から勉強する「意気地」がなく、「なんちゃって」ボサノバソングを作って録音したりはしたものの、今から聴きなおせば色んな人に(ブラジル音楽関連のww)一喝されそうな「なんちゃって」ぶりに気恥ずかしくなっちゃう。

「DREAM」のサウンドがカッコよく、包みこまれるように心地よい小野リサさんの唄声には大いに惹かれ、その他のアルバムも何枚か聴いてみたけれど、「DREAM」以上に良いと思えるアルバムには出会えず、、、
小野リサの他には、セルジオ・メンデスとか聴いてみたり。
その程度の関わりしかもっていませんでした。

で、時は流れて21歳くらいの頃、東京で「メヲコラソン」に出会いました。
メヲコラソンのお二人がニューヨークから帰国されて直後の頃です。
ライブに行くたびに進化している演奏、完璧な歌、パフォーマンス、
「ブラジル音楽ってシットリゆったりしたボサノバ、だけじゃないんだ、ジャカジャカやってるだけの(こんなこと言ってる時点でわかっちゃいないのですが、ワタシ)サンバだけじゃないんだ、こんなにエキサイティングであり得るんだ」、とそこで知ったのです。
オリジナル曲も好きだったけれど、カヴァー曲もなんとも「心踊る」モノばかりで、
あの曲は何だろう?とCDを探してみたり。

で、大いに浸ったものの、その頃のワタシは、自分の作る楽曲と自分自身をいかに「商品」としてプロモートしていくか、その頃師事していたボイストレーナー兼プロデューサーの元で、「纏め」の段階に居たので、自分の純粋な興味の赴くまま、新しい音楽に首をつっこんだり、新しい曲を作ったりすることは文字通り「禁じられて」いたので、、、
ブラジル音楽の前に私は「観客」に徹しておればよい、自分は自分の世界を纏めてこれから日の当たる場所(?)に出るんだー!と思っていたんです。
そんな思いにしがみついていました。
その後、崩壊しちゃうんですけどね…。

で、ま、「いろいろ」あってワタシは崩壊してしまい、
崩壊していたところに父親が(私にとっては)突然にして亡くなり、
尻尾巻いてイナカに帰ったのです。

イナカに帰ってからも、音楽は自分にとって唯一、情熱を注げるモノであったので何らかの形で続けようと努力はし続けていたのですが、
その上でも何か「新しい」ことに挑戦する必要がありました。
それまでに書きためた曲を、これからはガットギター一本に絞って(それまでは、ピアノとギターと、半々くらいで曲を作っていたので)ちゃんと弾き語りできるようになろう、という目標の他に、
「新しい」ことに挑戦する目標というかモチベーションが、前向きに生きていくために必要だったのです。

新しい曲を作る気には、なれなかったし。
父親が亡くなって、それまで自分が、いかに自分のことしか考えていなかったか、ということや、父や母が自分の知らない間にいかに苦しんでいたかということを知り、自分がホントに嫌になり、
「自分」ってなんぼのもんじゃい?と。
ただただ、生きるために、家族といっしょに「前向きに・幸せに」生きようと決めたため、
深く考えつめたり、妙に「アーティスティック」な自分の脳ミソの部分を閉じてしまった。
自分が嫌になる、だけで歌が作れなくなるには十分な理由にはなるよね。
その後、ぽつりぽつりと書くようにはなるのだけど。

幸い、地元とはいえ16歳までしか居なかったイナカに友達は一人もおらず。
新しいことを始めても、下手くそでも、別に誰に対して気後れもない。
ある意味まったく新しい環境で、しかも「イナカ」なのでミュージシャンもほぼみんなアマチュア、
温かくて狭いコミュニティの中で自分の居場所を確保することができた。

はじめは、ボサノバ・スタンダードの曲をレンタルCDとウェブ上で拾った歌詞カードとコード表を観ながら練習を始めたのだけど、
ある程度慣れてくると、一部の超絶的に美しい曲を除けば、ボサノバのゆっくりとした曲は自分で演奏してて自分で眠くなるようになり…、、
やっぱりワタシはエキサイティングな、一人で演ってても背後にはズンタカジャカジャカとリズムが鳴りまくっているような、Elis Reginaとかの曲が演りたい!と思って耳コピ&ウェブ・カンニングを始めたのです。
そんな歌を家で弾き語るようになると、母親が「やっと明るい歌を歌うようになったねぇ」と喜んでくれた(笑)

色んな人のチカラを借りて、しばらくは一人で活動していたのだけど、そんなワタシのブラジル傾倒っぷりと、自作曲を気に行ってくれるドラマーと「バンドやろうゼ!」という話が進み…
ベースは、ウッドベースを弾ける和歌山では数少ないべーシストのおっちゃんにラブコールを送り続けていたのだけど、既存のバンドがあるからということで一年ほど待ってから加入してもらえることになり、
ワタシにとっては、初めてステディな「バンド」を組むこととなったのです。
本当に夢のような話でした。
二人とも、人柄も満点で。
面と向かって礼を言ったことはないのだけど、
その頃の私の人生を明るくしてくれたのは、また「ライブ」を自信もってできるようになったのは、このバンドのお陰だと思ってます。
崇君、ちゃぼさん、ありがとう。

このバンドは、ワタシが26歳で結婚して、海外へ引っ越してしまうまで続きました。
そこでワタシの音楽ライフは、意図せずしてプッツリ切れてしまったのです。

で、去年12月から再スタート。
12月初旬、某ブラジルコミュニティスペース・Aparecidaで(ちゃんと準備もしないまま、、)歌ったところから。
ちゃんと、年をとっていた。
ワタシの時計も、止まっていたわけではなかったな、と感じた。
Aparecida界隈の方々、これからも、よろしくお願いします。

あ、そうだ、4/28(日)はそんな西荻窪Aparecidaでライブだよ!
今井歩さんとのタイバンだよ!
超ハイクオリティな音響環境を用意してくれるって話だよ!
全員集合!!
(ちゃっかりと宣伝♪)
by agatha2222 | 2013-03-22 05:20 | Other | Trackback | Comments(0)

考察というほどでもないけど② ただいま、インディア

「第三次インドブーム到来」とココに二度ほど書いたのですが、
今、キテるんですよ、インドが。
きっと、ワタシに今、必要な知恵が、インド(といっても広いけど)からおいでおいで~と手を振っているのですよ。

具体的には、リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド等の文献(中学の歴史の教科書に出てきたよね、これくらいならワタシも習った!)を元にした?インド哲学、

そして複雑怪奇に思われるが実はスッキリ美しい、インド音楽、インドのリズム、への興味など。

ワタシの思い出話になりますが、

「第一次インドブーム」がいつ来たかと言うと、
中2でビートルズにハマった後、です。
ジョージ・ハリスンの作るインド色むんむんの楽曲が特に好きで。
きっと、なにか「エキゾチック」なものに惹かれる性なのでしょう。
(ジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画「living in the material world」はスゴく良かった、、、)
初めて「耳コピ多重録音」に挑戦しようとした曲は、「The Inner Light」という曲で。

...友達のアニキが録音機能つきのシンセサイザーを持っていたので、中2の夏休みに、その子(=ピアノ弾ける)の家で、シンセでハルモニウム(パイプオルガンで代用)とインド笛(フルートで代用)のパートを録音し、あとはアコギとバイオリンを鳴らしてテープレコーダーに録音しようとしたけれど、(打楽器類は何叩いてるかすら判らず再現は無理と判断し、潔く割愛…)アコギとバイオリンを一度に弾けないことに気づいたところでギブアップ。。。楽しく辛い思ひで、です。

もとい、、、
ジョージ・ハリスンが傾倒していったインドの教えって何だろう、という興味と、
それを元に書かれた歌詞の意味が、全くもってわからん、、、というフラストレーションから、
図書館や本屋をめぐって色々読みはじめたのです。

(これはインド、とは違うけど)チベットの死者の書、関連や、
インド滞在記・旅行記のようなものは中学生のワタシにとっても面白かったものの、
「インド哲学」については、ほぼ理解できず…。

「アートマン=真我」って何?
と言う感じで。難しすぎました。
難しすぎると諦めたところで、それ以上は踏み込まず。

(追記:あ、違った、踏み込もうとして、ついでに「大学進学」への一縷の望みを繋ごうとして、「某大学の東洋哲学科に進学したいです」と懇意にしていた教師に相談したら、「俗世に戻ってこれなくなるから止めとけ&つぶしがきかん」と全否定され、諦めたのだった…。)

インド音楽、についても、ラヴィ・シャンカールのCDを聴きながら、「なんか気持ちええけど、眠くなるな」という感想を持つまでで。

で、「第二次インドブーム」は、それからかなり後に来ました。
あれは三年前。(byチアキナオミ)

…あれは自分にとって、しんどい時期でした。
身近にとても「嫌な奴」が居て(その後、居なくなりました)、毎日嫌な気持ちになっていて、
そんな奴に負けてしまっている自分の状態が、なにより嫌でした。

そんな時に、ヒーラーの友人に勧められて、いくつかワークショップを受けたのです。
ヴェーダ(インドの「科学」、宗教ではありません。)について、瞑想について、入門編ですが、教えてもらいました。

...「This is it!!」(=おお、これや!!)、という感じがしました。

でも、この「発見」のあと、指導者の誠意に対して疑問を抱く出来事があり、ワタシは大いに「傷ついた」と自覚し、この辺りのコミュニティから逃げざるを得ませんでした。
教えてもらったこと自体は、ヴェーダは、有効であると確信したのに、整理のつけられない感情が、ワタシを元いた場所に走らせたというか。
記憶を再現させたくないので、ヴェーダとの出会いそのものも、「なかったこと」にしていました。

もやもやしていました。
「逃げた」ワタシの判断に対しても、正しかったのかどうか、一抹の迷いもありました。
ヒーラーの友人に対しても、複雑な気持ちを抱いて、もやもやしていました。
もやもやを解消する必要があるけれど、うまく思いを伝える・話し合う自信がないから避けて通りたい、
そういうワタシの一方的な思いから、その友人とも疎遠になり…

それから時間が経ち、「傷ついた」感情は消え去り、
冷静にそれぞれの物事を独立して観られるようになり、
偶然か必然か、友人とも華々しい場所にて再会でき、
そこからまた付き合いが(というかワタシが助けられるという構図が多いかな、)はじまり、、、

その、戻ってきた人間関係が下地にあったところで、
「第三次インドブーム」が数ヶ月前に来ました。
キキーッと。(急ブレーキの音)

入口はDVDで観た某る踊りと、踊りに伴うインドのリズム、音楽、コンナッコールだったのだけど、
ヴェーダをまた学び、実践することがワタシに必要かもしれない、とは最近思い始めた。
何故そう思い始めたか、については長くなるので、また次回。

インド音楽と、インド哲学(=ヴェーダ)のリンクが、ワタシの中であるのかないのか、よくわからない。
ただ、インドにまつわるどんなものも、14、15歳の頃の記憶とリンクするのです。
ただただ、懐かしく感じるのです。

「クリシュナ」という語感、
サモサの匂い、
タンプーラの持続音、

そういう全部が全部、「初めて出会った頃」を思い起こさせるのです。

ワタシが中学生の頃は、インド料理屋なんてもちろん周りになかったし(都会ならいざ知らず)、
食べ物も楽器も、本に書かれている説明書きや写真から想像するしかなくって。
本に書いてある、ざっくりしたレシピをもとに、豆(ダール)のカレーとか、なんか旨いのか不味いのか判断のつかない代物を何度も作ってみたなぁ…。家族にはあまり「売れ」なくて、一人で嫌になるほど食べた記憶が…。
19歳の頃、東京で初めて(あれは新宿)食べたインドカレーが自分史上マックスの旨さだったなぁ。
最近は「旨い」インドカレーには恵まれていないなぁ。
舌が肥えたのか、胃が年食ったのか。

カレーの匂いがしてきた(そういや、今日Facebookで旨そうなカレー・ランチの画像を観たのだ)ところで、
ヴェーダとビートルズに記憶を戻して、引用。


The Inner Light

(by George Harrison, recorded at EMI studio in Bombay, 12 Jan 1968)

Without going out of my door
I can know all things of earth
Without looking out of my window
I can know the ways of heaven

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

Without going out of your door
You can know all things of earth
With out looking out of your window
You can know the ways of heaven

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

Arrive without travelling
See all without looking
Do all without doing

家から一歩も出なくとも
僕には世界中のことが手にとるようにわかる
窓の外を見なくとも
僕には天の摂理がよくわかる
遠くへ行こうとすればするほど
知り得ることは少なくなる etc...
by agatha2222 | 2013-03-22 02:20 | Project Beatlish | Trackback | Comments(0)

考察というほどでもないけど①「愛と死」をみつめて

言葉で「感じ」を伝えること(=自己表現?)ができるようになる以前の、幼い子供のフラストレーションはこういう感じかもしれない、と思う今日この頃。

色々と考えているのですが(いつも同じようなこと言ってますが)、簡単にはまとめられず。
でも少しずつ、考察の軌跡を残していきたいな、という思いもあり。
真面目な話です。

何かしらの形で表現するにあたって、
「恥ズイからやんぴ、は無し」と以前、ココに書いたものの、
「恥ズイ」以上に「ヤバイ」かもしれないから、書かない方がいいんじゃないか、とも思ったり。
「ヤバイ」って何が?
ドン引きされるリスクが。

それでも公開ブログとして書くのは、
自分が発信した何かを受けて、同じ時を生きる誰かが何かを感じたり考えたり、
共通点を見つけたり、それで心が動いたり、
何かに興味を持ったり、
そういうこともホントにあるのだな、と最近嬉しさと供に実感することもあり、
また、
ワタシ自身が、誰かが発信したことから(対面で、文章で、映像で、、)触発されたり、
自分の中に眠っていた思いを引き出して、
行動が、思考が動いていく、変化していく、ということが、多々あるから。

影響しあって、動く。
この時を、共に、生きる。
あたかも、複数のダンサーが絡み合って踊る様子や、複数のミュージシャンが織りなす即興演奏のような、
そんな醍醐味を、どんな小さな規模でもいいから、味わってみたいという思いがあるのです。

長いな、前置き。。。

この調子じゃ、タイトルにある「愛と死」に辿り着くまで、数か月?かかりそうですが、
(ウディ・アレン映画のタイトルみたいだけど)
振り返ってみれば、「愛」と「死」とは、子供の頃からずっと、私の中にあったテーマだなぁと、思うのです。
テーマが同じでも、もちろんそれに対する考えは、変わり続けてきたのですが。

「死」といえば、
私たちの殆どは、「生まれてくる」または「生まれる前の」記憶がないので、気が付いたら「生きてた」、始まりから、ずっと、「生きてる」、「生きてる」ことが当たり前、
なので、何時か向かう「死」に対しては、人生最大のイベント、くらいに思ってしまうのは、当然かと。

ワタシが思うには、「死」そのものは当たり前に誰しもに訪れるものなので、(死なずに生き続けるとしたらむしろ困る)悪いことでも良いことでもないし、正直、悲しいことだとも思わない。
寂しさはあるかもしれないが。
(ホントかな?強がりいってるだけかな??)

ただ、「死」の前後には、周囲には、「苦しみ」がまとわりつくことが多いので、
誰かの苦しみを思うと、苦しい。

重苦しい話になってきたので、「死」の話はとりあえずここまで。
つづく。
by agatha2222 | 2013-03-22 00:33 | Project Beatlish | Trackback | Comments(0)

うたえやおどれや

この歳になって、踊り子になりたいとか、思ってみる。
だって、思うだけならタダだもの!!
思うだけなら、怪我もしないもの!!
「自分」の感覚が消えてなくなるまで踊りまくりたい、とか思っている。
そんなワタシ、今サーティーワンアイスクリーム。
(31歳になったらこんな下らないことを言ってみようとある日思いついたのだけどあまりに下らなすぎて実際には口にできないままあと数か月で有効期限が切れてしまうので、ここに書いてみました。もう何も思い残すことはありません。)

つまり、踊る瞑想、がしたい。
歌でもいいけど。
好き勝手に、でも皆で、ひとつになって踊ったり歌ったりしたい。
ある種の祭りか、これも。

ここ最近、各地の「祈り」系の歌を聴いている。
"快楽"ボイトレゼミの参加や、シェルカウイの影響も大いにあり。
子供の時から、「ポリフォニー」が好きだったなぁと思いだす。
今はそういう時期なのか、そういう影響がすべて繋がって、面白い。

コルシカ島のポリフォニー、
ユダヤの宗教歌、
インドのパーカッションetc、
スーフィーの回旋、
ダルブッカの応酬、

苦しみから解放されんと、神を称え神と一体化する歌を歌う、
(もしくは自分だと思っている「思考」から解放され、内在する「神の光」で満たす)
歌うこと踊ることは古来から(たぶん想像ですけど)人々の生活の一部だったはず。
それから切り離されたら、現代人は寂しい。
そんなところから、出口が見えそうだと、ぼんやり考える。
ある種の救済、サルベーション。

あ、怪しいものではありません。念のため・・・
(特定の宗教を信仰しているわけではありません。)

というわけで、とりあえず来週は二回目のGAGAクラスで踊りまくってきます。
シェキラベイベ~
ところで「踊り子」って、何なんだろう?
by agatha2222 | 2013-03-18 11:34 | Dance | Trackback | Comments(0)

グダグダとクダを巻きつつ絡まった毛糸玉をほどいていく、的な

考え事の中であれ 具体的な「作品」への取り組み過程であれ
ただの興味本位であれ 恋する「誰か」であれ
何か、を追いかけ続けてていると
フッと全てがどうでもよくなることが、たまにある。

よくある話だとは思う。

全てがどうでもよくなる時は、
たいてい疲れている時なんだけど。

これに何の意味があるというの?
何の意味もないから止めてしまおう、
いや、別に意味なんて何の中にもないですよ、
ただ自分が好きだから、やりたいからやってんでしょ?
やりたくないときは放置プレーしとけばいい。

追いかけるのは疲れるし、辛いから止めちゃおうと決めてしまうと、
ラクだけど退屈ですよ、楽しいのラクじゃなくて「自堕落」のラクね、むしろ。

要は、バランスかと。

どのように生きるのか
自分がどう、動くのか
静止した回答というものは、無い、
だから どちらかのサイドに留まろうとしなくてもいい、かと。

"a human body, it never achieves stillness
it's constantly in motion
even when it's still, the body continues to breathe
even after death, the body continues to be decomposed"

(訳:ヒトの身体は完全に静止することはなく、常に動いている。
動くことをやめても、呼吸が止まることはない。
死んだ後も、身体は分解され続ける)
...以上、Akram Khanによるテクスト

さてしかし、

追いかけているこのワタシは「自分」
膨らませている「自分」
「自分」と「欲」は似ているなあと最近、思った。
欲深くなると、文字通り窒息しそうに苦しい。
あれもこれも、ってねぇ、重いよ、おなか一杯よ、アタマ痛いよ、ってねぇ。
でも、じゃあ可能な限り「欲」を手放して仙人目指してみるか?
と逆サイドに立ってみると、
そういう「幸福の追求方法」もアリかとは思うけど、
ワタシはごめんだなぁと、、

だから、その間でいいのですよ。
"in between space"
漂い続けていればいいのですよ、きっと。

などなどと、

こんなことを書き連ねていると、
「恥ズイなぁ」と思う部分もあり、
しかし「恥ズイからやんぴ」という判断は、
すぐ「抑圧」につながるんだって、過去に何度も学んだので、
だから
葛藤はあってもいいけど、
「恥ズイからやんぴ」は、なし。
これは、Fixed、I pinned it down、
とりあえずの間は「静止させた」ルール。ワタシの、ルール。

このように、
ゴチャゴチャと考えて、溺れそうな気持ちになったりしても、
このように、「恥」と引き換えに書き出してしまえば、
もう「当たり前の事柄」になって、
ゴチャゴチャとアタマを乱す必要もないのかな、と、
だから、解いて、出していくことは今のワタシのためになっている。

まあ、また迷うだろうけど。
never achieve stillness

さてしかし(パートトゥー)、

こんなことをゴチャゴチャ言っていられること自体が、恵まれていて、
色んな状況で「生命の危機」に瀕していたら、
ただ動物的に生きるためだけに、集中してアタマと身体を、エネルギーを使うでしょう。
今この瞬間、ワタシの周りは平和だ、ということです。
世界中で何が起こっていて、
目に見えない形で自分や自分の大事な人の身体が日々毒され続けているとて、
今ここは平和なのです。

「生命の危機」といえば、
死んだ後のことは、ワタシはよくわからないし、
見てきたようなことを言う人の話も、あまり信じられないのだけど、
死ぬまで生きた人(先輩)達のことは自分で見てきたから、
仕方なく死ぬまでは、漂い続けて、惜しみなく、生きたいなぁというのが、
今日時点での結論。

ああ、なんという論理?の飛躍よ。
バタバタバタバタッ
白鳥のはばたき。
論理のはばたき。
by agatha2222 | 2013-03-15 16:41 | Other | Trackback | Comments(0)

honeymoon is over?

僕らの蜜月は終わった
あなたは 僕が知っていたあなたではなくなってしまった
そして あなたをそのように変えてしまったのは
おそらく 他でもない この僕
それを知っていても 僕の感覚は非情なほどに正直で
あなたを この腕に抱いても
僕の中に立ち上るのは
かつての喜びではなく
上手くいかない 苛立ちのような 時の流れの滞り
もう一度
もう一度 一緒に 自由になりたい

・・・・・・・・・・・

エレガット(ギター)の話です。
数か月前にこの楽器を購入後、初めて弦の総張り替えを実施したら、
ネックの感じが変わってしまいました。
リペアに持っていく時間がなかなか直ぐにはとれないので、
こんな気持ちで関わっています。

PLEASE SAVE US!!!!
by agatha2222 | 2013-03-15 14:32 | Other | Trackback | Comments(0)