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ことば とは とれす さーん てぃーん ♪♪♪

10/30 チャーリー高橋さん宅にてリハなど。

11/25ライブで演る予定の曲を中心に練習。
来年以降、演れそうな曲を聴かせてもらったり。
(後半はほぼ、DJナイトに…)

楽しい晩。色々な発見あり。
歌を通して、自分を客観的にとらえてくださるのがありがたい。
歌声(歌い方)から、楽曲の解釈ついて、さらには人物像を読み取って頂くという
まるでカウンセリングのような(笑)。

そしてリハ以来、新しく聴かせてもらった沖縄の民謡が、ずーっと頭でループしている。
三線が新たに欲しくなる(昔持ってたんだけど売っちゃった)ところだけど、
ギター弾き語りでもなかなか面白い。
早く演ってみたいな~~

それにしても、日本語は発音が難しいと感じる。
じゃあキレイな(何をもってキレイというか?)英語やポル語で歌えるかといえば???だけど…。
英語であれば、歌を組み立てる部品として、自分としては(比較的、)自由に扱えると感じている。

日本語の難しいのは子音と母音が一体化している点で、
それが一音に一字、となると難しくなる。(ときもある。)
自分で書いた歌ならば、自分の発音しやすいように書いているので、
(かつ、どう発音しようとも自分の勝手なので)気にならないのだけど。

割舌。
カツゼツ。
股割みたいなものか…(ちがう)

標準語の日本語のイントネーションが階段、であるとしたら、方言はスロープ、
といいますよね。
だいたいからして、普通に喋るのも標準語って難しいのかもしれないな、
ああ、なんだか難しい気がしてきた!

じゃあ英語はどうかと。
キレイな英語ってなんなのか、追求するつもりもないのだけど、
よく人から「(好くも悪くも)ナマッてる」と言われる自分の英語発音について、考えを少々。

まず、ワタシが自主的に興味をもって最初に聴き始めた「英語」が、
いわゆる90年代初頭のブリットポップ、UKロックだったので、
ひとくちに「英語」と言っても、歌い手によってさまざまであることが「普通」だと思っていた。
いや、普通だと思ったというよりは、そのような多様性を好んだ。
イギリス国内でも、上流階級の英語、コックニー(ロンドン下町)、リヴァプール、もしくは歌い手の出身地に関わらず…、、さらにはアイルランドや北欧やフランスやら、色々ある。
「ナマり」がアイデンティティであるかのように聴こえる。
それが、良いの。
たぶん、ネイティブスピーカーでないからこそ、
どういう「ナマリ」はダサいor鼻につく、とかいう先入観無しに、ただ「特徴」として受け入れられるのかもしれない。

ワタシたちが外国語で歌うにあたって、
「何を言っているのか現地人に通じなければ、、」という意見もあるが、
例えばイギリス人であるTom York(radiohead)の歌ってる内容なんて、
イギリス人が聴いても「聞きとられへん」らしいし、、
まあ、なんでもアリっちゅうことですな。

ブリットポップ等を聴き始める前にも、
母の聴いていたホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリー等、
米国のR&Bに触れる機会もあったわけだけど、
子供心に、音楽として(歌手として)イイ、スゴイ、と感じながらも、
自分自身と繋がるモノを感じなかったわけです。
「バックトゥザフューチャー」のマイケル・J・フォックスとかが話す英語なども、(歳がばれる)
カッコいいアメリカの、遠い世界のモノ、としてとらえていたのなー。

そして一見(否、一聴)、「ムチャクチャな」発音、「奇抜な」発声で歌われた「英語」に触れた時、
「えー、これ英語なん?」という驚きをもって惹きつけられた、のかなー。

んでもって、ビートルズに出会ったらコレが聴きやすい。
歌詞の内容も解りやすい。
つじつまが合うことを言ってる。
ビートルズで英語を学んだといっても過言ではない…。

というわけで、色んな側面からみても言葉って面白いなあ思う今日この頃。
(強引にまとめる)

話はそれますが、
「ベルギー ヨーロッパが見える国」という本を読んだ。
オランダ語(フラマン/フランデレン語)とフランス語の、
ゲルマンとラテンの、
フランデレン人とワロン人の攻防、
その境界線を内包するヨーロッパの十字路、ベルギー。
多言語国家の面白さと、
シディ・ラルビ・シェルカウイ(←このブログではお馴染です)とダミアン・ジャレの文化・教育的背景に触れる。

そんな、こんな。
あんな、どんな。
アンナ、マドンナ。
by agatha2222 | 2013-10-31 23:14 | Other | Trackback | Comments(0)

9月~10月末までのライブetc.情報(随時更新)

現在決まっている10月のライブ予定です。
9月のライブ予定はありませんが、踊るかもしれません。
(踊らないかも、しれません...)ええ、踊りましてん!!

9/15(Sun) Damien Jalet Workshop - Presentation
場所:スタジオアーキタンツ
http://www.a-tanz.com/
開演:19:20 (19:10 開場予定)
観覧無料
予約なくてもご入場頂けますが、できればご予約下さい。↓

【ご予約/お問い合わせ】
スタジオアーキタンツ
tel: 03-5730-2732
fax: 03-5730-2733
e-mail: 3@a-tanz.com
〒105-0023
東京都港区芝浦1-13-10
第3東運ビル4階

…念願の、ダミアン・ジャレのWSに参加します。
(所謂コンテンポラリー・ダンスです。)
一週間ぶっとおしで、たぶん身体はズタボロになります。
最終日にインフォーマル・パフォーマンスとして、プレゼンテーション(観覧無料)が予定されていますが、途中棄権・脱落する可能性もあるのであります。
しかし、参加すると決めたかぎりは、誰に観られても恥ずかしくないように頑張るぞということで、こんなふうに吹聴するのであります。
(なんか矛盾したモノイイだこと)

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10/26(Sat) ハロウィンライブ@Live Cafe Sala
http://www.livecafe-sala.com/
住所:東京都港区赤坂2-17-58 赤坂福住ビルB2
電話:03-3505-0690

open:19:00 start: 19:30
charge: 1,500yen

出演:
bolo/あがさ/八重尾雄太

3組のタイバンライブです。
お友達の"bolo"さんに誘って頂きました!
ライブ前の12:00~17:00はセッション&オープンマイクタイムとなっております。

ご予約いただけると、助かります。
ご予約方法は、このブログにコメント頂くか、
下記アドレスまでメール下さい。

(boloから、お二人↓)
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by agatha2222 | 2013-10-31 14:37 | Live Schedule | Trackback | Comments(0)

カボチャとかライブとか

10/26 ハロウィンライブ@Cafe Sala赤坂にお越しいただいた皆様、お店のさくらさん、共演者の皆様、ありがとうございました!

Set Listはこんなかんじ↓(*はカヴァー、それ以外はオリジナル)

Menino das Laranjas*

I will*
今年の夏は暑すぎる
なのはな畑で
Expresso 2222*
モラル

他、セッション


この日、お店に着くまで、二度も電車を逆方向に乗ってしまった…
精霊だか妖怪だかにもてあそばれたとしか考えられないです。
精霊だか妖怪だかにもてあそばれるスキがあるほど、頭がユルかったのは事実です…。

頭がユルむと(身体もユルンでます)、ミスもするけれど、
妙に自由度が増すというか、暴れ馬というか、
あーワタシ、変かもヘンタイかも、、と思ってしまった。
鬼才、の意の良いヘンタイじゃなくて、なんていうか、江頭さんとか、ああいう、キモい感じの。
その辺のさじ加減は(自由orヘンタイ←→お行儀よしこさん)、自然にコントロールされてしかるべきなのだが、
いかんせんユルくて~~~
ごめんくさい~~

崩壊しすぎないように、ちょっとなんか、いろいろ、もろもろ、改めようとしています。
せめて、スマホ見ない、とか。癖になるのよー。光がー。電光がー。
ツーマッチインフォメーションがー。
人体人脳に悪影響ありんす。
摂取する情報の選択と制限を試みてみます、しばらく。


10/27 東京ELECTROCK STAIRS「つまるところよいん」千秋楽を観に行きました。

前投稿で語った映画を見に行く予定を変更して、迷ってやめとこ、と決めてたけどやっぱり行くことにしました。
東京ELECTROCK STAIRSは、いうなればコンテンポラリー・ヒップホップ・シアター、と称せましょうか。
これ、とても面白かったです。
運動量すさまじいです。
前作よりさらにさらに面白かったのです。

(今も頭やユルンでるのでそんな感想でごめんくさい~)
by agatha2222 | 2013-10-28 17:03 | Other | Trackback | Comments(0)

粘菌と化身と分身とか

先日から何気なく録画しておいたテレビ番組等を観ていると、
在る禅僧が、
藤子・F・不二雄先生が、
是枝裕和監督と姜尚中が、
アルピニスト野口健と小説家・平野啓一郎が、
詩人の加島祥造と姜尚中(再び)が、
話していた。

最近いくぶん細く弱々しくなった論理的思考(ワタシの)を貫いているテーマについて、
もしくはそれに関連づけられることについて話していた。

ぽっかり空いた穴の中にそれらの言葉は吸い込まれていって、
自力で捏ねられる(?)パン生地のように纏まって、
もしくは粘菌のように変化しながら形作られていく。
変化していくワタシ個人の死生観が語りはじめる。

その後さらに、
姜尚中の小説「心」と
水木しげる「猫楠」-南方熊楠の生涯ー(マンガ)
を読んだ。

「心」は、息子を亡くした(自殺)ばかりの姜尚中自身が、
ココロの整理をつけていく過程、のような作品だ。

同じテーマとは、
生と死と、家族、
綿々と受け継がれる命と、生と死を内包する粘菌と、
レインカーネーション(輪廻)と。

死は生の裏側の世界で、
こっちで死んだらあっちで生まれる、
三途リヴァーを潜り続けたら別の水面に出た、みたいな。
そんな絵本のような考えが妙に説得力をもってきた。
もしくは、生と死はリバーシブルのセーターのようなもの…
なんとなく。

とはいえ、そんな死生観を育てていても、
やはり感情はあって、
姜尚中「心」に感情移入して洪水になった。

大きな世界(命)の仕組みについて考えていると、
大きな世界に居るちっぽけな存在(自分)を見下ろすというか、
他人事のように突き放して見ることになるのだけど、
同時にちっぽけな自分の内側が、身体のまわりにある(と言われる)オーラの内側が
自分の世界の全て、というのもまた矛盾するような真実で、
感情もあるし、感情に溺れても悪くないのだ。

ところで死生観、についていえば、
チャーリー高橋さんの自作曲のその歌詞に、深く共感している。
11/25のライブで、何曲か歌わせて頂きます。(夜露死供!)

…生と死と、家族、ということで、
貴乃花親方の言葉を思い出していた
シェルカウイの言葉も。

テレビ番組(情熱大陸だったかな)で、父親(二子山親方)の位牌に毎朝、手を合わせる貴乃花親方が、
「(親父の)分身(ワケミ)でしか、ないですから」
(それ以外の存在意義は無い、という意味)
と言っていたのが、印象深かった。
聞いたばかりのときは、「何故そこまで拘るのか、何故オヤジにそこまで拘るのか、その使命感はなんなのだ、何かの裏返しか?いずれにせよ常人には解らぬ境地なのだろう」
とワタシは思ったのだけど、
特に、"ワケミ"って何だ?という違和感があった。

一方のシェルカウイの話では、
「自分の父親は、自分の好きではない存在、自分がなりたくないもののすべて」であったのに、
「歳をとるにつれて、父親に似てきてしまう、でもそれは仕方がないこと、僕は両親のレインカーネーションなのだから、、」と言う。
(シェルカウイが19歳の時に父親とは死別)

そんな「ワケミ」「レインカーネーション」という言葉を、
影響を受けやすい人物(尊敬の対象という意味で)から聞いていたから、
自分の思考も無意識化でそちらに(好き好んで)寄っていったという可能性もあるが、

昨日、ワタシも実感として、親の「ワケミ」なのだと思った。

ワタシの父親は10年ほど前に死んだのだが、
「死んでも私の心の中に生きている、、」
という感じ、はまったくしない。
(ジョン・レノンは人々の心の中に生き続ける、、というような話なら同感なのだが)
生きてないよ、死んだよ。
心の中にあるのは思い出だけ。

姜尚中は「心」の中で、「過去はある」と書いていたけれど、
それはホントでもあると思うけど、
「過去、追憶は妄想」と決めてしまった方が、
機能的に?生きられるとも思っている。
じゃあ死んだ父親はどこにいったのか。

死んでもどこにも現れなかった。(霊として)
夢の中に表れても、何故か顔は見えなかった。
冷たいのか?ワレ?
我々、ドライ?
じつはドライ?
意外だったのだ。

死後の世界、についてアレコレ、考えた。
「大きな命の塊り」?に帰って、判別不可能になった?
熊楠いわく「心は三つ四つあるのだ - そのうち、いくつかはこの世に残る」らしい。
(コップの跡みたいな)トレースが残るのかもね。
それは想念?

いずれにせよ、どこか遠く遠くにいったんだろう。
でも、ワタシはその「ワケミ」なのだから、
ある意味、ここに居ますから、気にしませんよ、と。
自分の心の中にうんぬん、というよりは、
身体そのものが両親でできている、
挿し木みたいなもんだと思えてきた。

そりゃ、生物学的に言えば、当たり前のことなのだろうけど。
実感、としてそう思った。
どうしようもなく(嫌だというわけではなく)、親に似ている自分について、
親は親、ワタシはワタシ、などと個人主義というかドライなアメリカーンな主張は
(ゴメン何言ってるかよくわからない、、)
ただの「ツッパリ」でしかない、というか。
別に自分がツッパッていた、というわけではないし、
つっぱる必要もなかった(基本的に自主性を尊重して育ててもらったので)のだけど。
(否、ある部分では対立していたか、、)

先天的(生物学的)にも、後天的(教育の結果)にも、
親のワケミとして存在しているのだから、
自分が生きている責任、を全て自分が負う必要もない、
という風にも思えてきた。

何かの一部の、そのまた一部であり、
もっと小さな一部たちの全体でもある、、、

きっと、
「死」そのものは悲しくない。
ただ、病等の苦しみを思うと悲しい。
周りの人の苦しみを思うとつらい。
死によって会えなくなるのは、話せなくなるのはさびしい。(自分勝手)
自分が悪かったと考えて自責(これはどうにも辛い)
感情はあっていい、
けど、色んなスケールの視点を複数持っていた方が、きっと生きることが楽になると思う。

週末、是枝監督の「そして父になる」を観てきまーす。
by agatha2222 | 2013-10-25 23:50 | Other | Trackback | Comments(0)

身体はイマココを生きる

10/13 「徳久ウィリアム式ボイトレゼミ&即実践!(カラオケ)の会」にご参加いただいた皆様、
そしてウィリアム先生、ありがとうございました!!

企画チームとしてワタクシ、至らぬところもあったかと思いますが、
当日は満員御礼(場所、チョイ狭かったかしら…?)、
カラオケも盛り上がり、楽しいムードの中、四時間の会は終了しました。

ボイトレゼミ(ワーク)ではみなさん、メモをとったり録音したり、真剣なまなざしで、
学ぼうとする意欲と、発見(発掘)の喜び、
それらのポジティブなエネルギーで会場は満ち満ちておりました。
終了後、誘った友人も「声が出しやすくなった」等と言ってくれて、
紹介できてよかったなぁ~♪と嬉しく思います。

ワタシ自身も、久々のワークを通して、
体の隅々まで意識をめぐらせ、その振動を聴き、感じることに集中できて、
終了後には生き返ったような清々しさが、、、。

例えるならば、身体の細胞(とくに骨と肉)の一粒一粒が浄水器カートリッジの砂だとして、、
そこに水が通って(水=意識というか意思というか気というか)一粒一粒が独立して潤う、、
一粒一粒が動けるようになる、歌えるようになる、
そんなイメージ。(あくまでイメージ)

実はここ最近、本気で声を出す・歌うことをサボっていたので、
(近所迷惑にならない程度に自宅でちょっと弾き語るだけで)
まさに歌うための身体が、能力が「長い眠りから目覚めた」というかんじでした。
「もー寝過ぎて腰いたいわー、早よ起こしてんかー」と身体に言われたとか言われなかったとか。
家で一人で、ワークやればいいじゃん、って?
言うよね~~
全くやらなくもないんだけど、、集中の質が全然違いますのよ、、

ワタシの腹も据わってないもんだから…
(これは余談)


以下、ごく個人的な感想を~。

今回のボイトレゼミで印象的だったのは、声を届かせる範囲を広げていくワーク。
「発声」という行為にイメージの中で必然性を与えつつ、
段階的に範囲を広げ(=声の音量を上げて)、最大まで達したら逆に狭めていく、というもの。

自分の声が最大音量に達したとき、脳裏に子供の頃の親子or兄妹喧嘩の記憶が浮かんだ、、。
普段の生活や歌でそこまでの大声をだす、シャウトすることってないからなー。
シャウトの記憶は身体が覚えているらしい。
肋間筋だけでなく腕脚含めて全身の(特に内側の)筋肉が瞬間的に緊張・収縮する。
…シャウトの才能(?)、あるかも…?と実はちょっと思った、、
ケンカ等で(必要にせまられて)大声を出す、、という経験は誰にでもある、
なんてことはないのだよなと思うので(まわりくどい言い方すみません)。
(ケンカ好きじゃないですよ、念のため…)

今回は、このようなワークで声を出しやすい「状態」を作った上で、
カラオケで好きな歌を歌おうゼ!という企画だったので、
ワークの効果をより実感できたと思う。

まあ、歌を歌う、ということは発声のコントロールだけでなく、
発音or割舌も重要なので、
発声が「滞りなく」行える「状態」では (あくまで当社比よ)
より割舌の問題が浮き彫りになる、という実感もー
表情筋の問題です、ええこれはワタシの個人的な問題(というか課題)。

ワタシ自身はふだん、カラオケに行く機会はあまりないので、
参加者の皆さんの、色んな曲のチョイス、色んな声、色んな歌が聴けたのも楽しかった。
「恥ずかしい」という気持ちが邪魔をすることもあるけれど、
やっぱり大多数の人は、歌うことは好き、楽しいと感じるんだよなあとシミジミ思った。

歌や踊りは、ずっと昔から、人々の日常にあったもの、
なのよね、きっと。
特別な芸能としてではなく、レクリエーションとして歌や踊りを行っていたのよね、誰でも。

…風営法のダンス規制とか…(一方、小学校の体育でダンス必修とか…)
どないやねん、と思いますが。
それはさておき、再び回想シーン…

日常に歌や踊りを、、って、
子供の頃は当たり前に、教わらなくても、楽しみとしてやってたこと、だと思う。
(少なくともワタシにとっては…)
缶ケリとかケイドロとか、お絵かきとか馬場抜き(否、ババ抜き)とかと同じ遊びの一種として、
歌謡曲の替え唄やら学校唱歌やら、休み時間に歌って楽しかったのです。
で、中学生になってもまだ同じように歌って遊んでいると、、
変な奴だということになってしまう(笑)
もったいないと思うのよ~~
非合理的だわ~~
羞恥心の目覚め~~?
お金払ってカラオケに行かなくても、自然発生的に声を合わせて歌えばそれで楽しめるじゃな~い~
、、、
ボヤキですけど。
ワタシは昔からそう思ってるからこそ、
ブラジルのパゴージとかにも憧れるのだなあと(改めて自己分析)

それはさておき(パートトゥー)、

ウィリアムさんの「神経トレーニング」とも呼べるワークに絡めて考えていたことを最後に…

ワーク等で身体の感覚に集中すると、
妄想や心配やわずらいごと(あえて妄想と呼ぶ)に頭を悩ませる余裕はなくなるわけで、
(その余裕があるとしたら、集中できてないってことだ)
ワークが終わった後も、
ああワタシとはこの身体なのだ、という自信というか実感がまだ残っているので、
妄想や心配やわずらいごとの質量はたいてい軽くなっている。

そしてオマケに(オマケでなくて目的なんだけど)
より使える身体になっている、という。
より自由自在に。

…はりきって歌など歌いたくない、というほどの泥沼に、しばらく、ココロが、居たんですけどね、
(まあ秋だからね、そういう気分にもなる)
身体のワークが疎かになっていたから、というのも大きいなと思っていた。
つまり運動不足、で使いにくい冷たい?身体になっていた。
運動なんて大そうなことでなくても、ゼミで教わったワークをやればいい(タダだし)のだけど、
そんなに自分で自分を律せるアレじゃないので…

というわけで、最近はクラシックバレエのレッスンetc.を再開。
少しずつ生き返って?きました、、、。
他のことはおろそかになるけど、
やはり自分自身=自分の身体と体に属する心etcが一番重要なので、
暫くの間はそのへんを優先させようと思っています。

…バランスがむずかしいのです。
拡散と集中、
外と内、
おにはそと・ふくはうち・ふくうちきがいのえれきてる、です。


最後になんの脈絡もない落書きを~(せっかく描いたので)
題名「鵜飼」
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by agatha2222 | 2013-10-18 23:04 | Other | Trackback | Comments(0)

インドな日々②

ブログの更新が滞っていました。
ワタシがぼやぼやしている間にすっかり10月も半ば、
ワタシがじたばたしている間にとっくに世紀末は過ぎ、
あれやこれやの思い出が色褪せてしまう、、
いや、色褪せてもいいのですよ。
大事なものは、ちゃんと残るし、繋がるから。

というわけで「インドな日々」の続きを回想~

、、にしても、
ひとつのことを究めようとしている人達には憧れるなあ。
ごく幼いころから、自分も何か「コレ」というものを見つけないとと思っていた。
「スポ根」や「ゲー根」(ゲージツのゲー)に憧れた。
そんな回想のための回想は、さておき。

9/30 バーラタナティヤム by シッキル・ヴァサンタクマリ&R.スチトラ @阿佐ヶ谷 

ナマステインディアのセミナーハウスにて、バーラタナティヤム(南インドの古典舞踊)のデモンストレーション&解説を観たのだけど、スチトラさんの踊り、全身に惚れてもうた。
翌日に一回だけ公演を行うと聴き、阿佐ヶ谷へダッシュ!鑑賞!

お写真はこちらに。

マイム(とは呼ばないのでしょうが、、)って、好きなんだよなあ。
とくに手、腕と顔だけで表現できる世界の広さ・深さがなあ。

コンナッコールを踏む、リズムも痺れるんだよなあ。
入門の入門、とはいえ、ワークショップなどでリズムの仕組みを習っておいてよかったなあ。
審美眼(耳)を養うという意味でも。

南インドの歌もいいんだよなあ。

表現している神話の世界も好きなんだなあ。

習いたいなあ・・・、、って思うんだよなあ。(アー言っちゃった~~)
でも、インド古典舞踊って「神にささげる」神聖なもの、なんだよね?
軽々しく真似ごととか、やってはいけないような気がする、が、
そんなこと言いだしたらなんだってそうだ!?という気もするので、
闇練(or密練)なら別にOK、という気もするが、
そもそも時間etc.の余裕もなく、無理だなあ。
まあ、いつの日にか…。足腰が立つ間には…。


10/2 カタック「東京ガラナ#10」 by サンジュクタ・セナ&前田あつこ @青山CAY

前々から楽しみにしていた、カタック(北インド古典舞踊)のスーパースター?がやってくる!という公演へ。

ああもう、凄かったです。
Breathless(息するの忘れる)というかBlinkless(瞬きするの忘れる)というか。
時間が止まるというか。
音楽をまとったサンジュクタ以外の全てが、鑑賞者であるワタシの中から消えるような体験だった。

会場もひとつに。

吸い込まれるってああいうかんじだな、と。

蝋燭の炎を一心に見つめ続ける(ヨガでもあるよね?目の浄化法)、という行を子供のときにやってみたことがあるが(ヒマだったのでしょう)、
その時のことを思い出した。
そのくらい、凝視してたんだろうな。


10/6 「秋のリズム道場」@荻窪

早いものでワタシにとって四度目の参加となる「秋のリズム道場」by/with ガタム・ラヴァーズ。
たった四回目だけど、ちゃんと進歩が感じられ、また新しいことを教わり、
前回までの土台?の上に今回の学びがあるっっっ
楽しい楽しい道場です。
この日はいつもに増してエキサイティングでした。

(ワタシは、チャラい道場生ですから…
楽しいのが重要なんですの。)

皆でコンナッコールを唱えながら、ガタムをビシバシ叩いて、
感情をこめて叩いて、
ときに囁くように、宥めるように叩いて、
ときに髪をふり乱して、激情のまま叩いて、
ナダイからコールヴェイへなだれこんで、
三回繰り返して、
最後サムに戻ってくるTha!!
で、横っ面を魅せる!!

横っ面Tha!! だけは我ながらだいぶ上手くなったと思います。


そんなかんじ~~
インドな日々はこれからもゆるゆる続く~~
今年の秋冬は色々とライブを聴きに行くぞと燃えてるの~~
by agatha2222 | 2013-10-17 02:58 | Dance | Trackback | Comments(0)

アガサ・デ・ワカヤマ

さいきん、Wakayamaが、アツい。(主観)
わが郷里、和歌山。

大好きな海外のアーティスト達がぞくぞくと(ぞくぞく、は嘘)、熊野古道や高野山を訪れている(らしい)。
そんなキッカケがいくつか重なり、私もこの年末には田辺市~熊野でも旅したいなあ、、
と今日、熊野古道について調べていたら、、
そんな今日、シェルカウイ(Sidi Larbi Cherkaoui)がWakayamaを訪れているというじゃあーりませんか。

あ~、胸騒ぎよ~~
別に案内とか、全然でけへんけど、
ウェルカム!!とか言ってみたいわ~~
何してんのやろ~~
まさか"きのくに線"とか"高野線"とか乗ってないわな~(車に乗るわな)
どこで何食べたんやろ~~?

で、今週末そんなワタシは和歌山市(ウチの近所)出身の天才、「南方熊楠:神と人と自然」シンポジウムに行く。(予定)
自分にとって非常にゆかりの深い熊楠について、この歳になってやっと知りたいと思い始めた今日この頃であります。

正直いって、若いころは「郷里」なんて好きじゃなかった。
でもやっぱり、「どこどこの誰々」というアイデンティティは無視できないと、自然な歳の流れの中で感じ始めた。

アガサ・デ・ワカヤマ、みたいな。
(デ、は"ロバート・デ・ニーロ"のデ、ですよ。)

自分が何者なのか知りたい、
自分が何に属するのか知りたい(不安だから)、
という自然な欲求の中で。


*************************
「インドな日々②」を差し置いてホットな(あくまで主観)話題から書いてみましたー☆
by agatha2222 | 2013-10-08 01:09 | Other | Trackback | Comments(0)

インドな日々①

「ナマステ・インディア」@代々木公園(日本最大の?毎年恒例インドのお祭り)を皮切りに、ワタシの内部は今モーレツに「インドづいて」いる。
...といっても、諸々の予定は前々から立てていたのだけど。

...のっけから脱線するが、
シディ・ラルビ・シェルカウイと、見知らぬ学生たちとともに、
勾配のきついアスファルトの坂道で、ビーチバレーのようなことをしていた。
ワタシは、敬愛するシェルカウイにこんな(つまらん遊び)ことをさせていいのかっ?と内心、心配していた。
今朝、夢の中で。

そんな夢をみたのはきっと、この6月に彼自身が踊る舞台("Play")を観に行き本人に会った時のことを前夜に思い出していたからだろう。
そして、その彼のインタビュー動画で聴いた"miracle of touch"という言葉も。
うん、まさに"touch"(触れること)は"miracle"(奇跡)だ。奇跡を起こすのだ。
あの日、本人に会って、握手してハグしてもらって(それも彼のほうからよ)、本当によかったなぁ、、
デマチしてよかったなぁと思い出していたのよ。

そう、今ワタシは「インドづいた」日々の中で、"miracle of touch"がキーワードなのだ。

...その内要を文章化すると膨大になりそうなので、ハナシを「インド」に戻しますね。

9/29 「ナマステ・インディア」二日目に潜入。
本当は一日目も行きたかったのだけど、都合つかず。

諸々楽しいことがありすぎたのだけど、とりあえずハイライトをご紹介!

ハイライトその①(デデンッ)

「今日からボクもモールシャ~~ン!の巻き~」(大山のぶよの声で)

モールシャンなんて言葉は無いです、念のため。
南インド音楽で大活躍の口琴、「モールシン」を、とうとうワタシも、ブース「カルナーティック宣言!」にて購入したのであります!
そ、モールシンを嗜む粋な大人を「モールシャン」と呼ぶのだす。(呼んでいるのはワタシだけ)

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「モールシンズ」の皆さんの丁寧なご指導のおかげで、すぐに「勝手気ままに」遊べるようになった!
日も暮れた頃、ブースの軒先で他のモールシャン達とビヨヨンビヨヨンとセッションして(遊んで)いたら、
思いっきりインド人っぽいインド・ガイズに「ナ~ニ、ソ~レ??」と尋ねられ、
(しかも超至近距離で・傍目には絡まれているだけ)、
モールシャン歴数時間にして、本場インドからお越しのジェントルメン相手にデモ演奏いたしましたヨ!
「ここで買えるんだよ!」とお勧めしたものの、「オカネ、ナ~~イ」と言って去ってゆかれました。

実はモールシン、自分のオリジナル曲で使ってみたいなぁと前々から企んでいて、
ちゃんとその曲にあわせたキーのものを購入しました。
まあ歌はともかく、ギター弾きながら、では演奏できないんですけどね...。
ソンナノカンケイナイ!

しかしモールシン、前歯がゆがまないかということだけが少々、心配です。
矯正した歯列というのは、動きやすいので…

今まで、口琴は色んな種類を見せて、演奏を聴かせて頂く機会に恵まれていましたが、
なんといってもモールシンが一番カッコいい、と思っていました。
そう、あなただけを見ていたのよ。
それに、このところ出会う人出会う人が皆(皆、というのは嘘)、モールシンを嗜んでいる。
生で聴くと、魅力的な音、みんな楽しそう。
「おまえまだ、口琴持ってねぇの?だっせぇ!」
という声がついにワタシの内部から聴こえだしたので、
あんまり色んなモノに手を出すのは慎もうという気がありつつも、
「ナマステ・インディア」で買う!デビューする!(買ったついでに教えてもらう!)
と計画しておったのです。

ハイライトその②(ホワンホワンホワ~ン♪)

「航空券争奪抽選会にて悔し涙(ウソ泣いてない)の巻き~」

インド・コーチン行き(鶏ちゃうヨ)の航空券が当たるというクジ、一枚だけ買ったクジの抽選会にて…
当選番号が、ワタシが買ったクジと最後の一ケタ違い・・・(あと3、少なければ…)
これ、すごく惜しいことよね?惜しい自慢していいよね?
ガッカリ。

とにかくハズレはハズレなので、この後ひとりで美味しい野菜ビリヤニとサモサをたらふく食べて、マンゴーラッシーを飲んで、自分をいたわりましたとさ。

…願望実現には「思い込み力」が必要、と考えているので、
もう当たったつもりで、前々から12月は予定をあまり入れないようにしていたのに…。
(12月はミュージック・シーズンということで音楽祭が南インドのあちこちで開かれるそうなので)

まあいいや。
まだちょっと早いのね、きっと、私にとっては。

自分、なかなかのヘタレ故、インドなんて暑くて腹下しが不可避な地を、旅できるか?という心配もあるので、
ナマステ・インディアのこの日も、その次の日も、
秋晴れの太陽燦々と輝く中、日傘・グラサン無しで長時間歩きまわってやったのです。
ヘタレ根性鍛えようと。
そしたらやっぱり、ばっちり、日に焼けました。
お顔の肌が、パッサパサのカッサカサで皮剥けそうです。秋なのに。
後悔してます。

ナマステ話はまだまだつづくよ!
(書く元気があればネ!)
by agatha2222 | 2013-10-03 03:25 | Other | Trackback | Comments(0)