前回、「変わりたい」「ちょっと変えてみよう」と書いた。
具体的に自分はどう「変わりたい」のだろう。 わかってないと、変えようがないよね。 一言でいえば、常にリラックスしていたい、無駄な力を使いたくない。 自分に、状況に、振り回されたくない。 そういう心の状態を自分で好きな時に作れるようになりたい。 たとえば時間を割いて、鍼打ってきましたとか踊ってきました、そして今リラックスできてます、じゃあなくて。常に、何が起こっても。 アマチュアとはいえ、趣味でやってるとはいえ、また音楽活動を始めます、人前で歌を披露します、このツラ晒します、となると、否が応でも自分自身と深く向き合うことになる。 曖昧なままにしていた個所、埃がたまっているけど見えないふりをしていた部屋の隅にまで目が届いてしまう。 それが「本気でやる」ってことだと思う。 それに、「自分も音楽を作る・演るヒト」として、音楽だけでなく、色んな芸術、思想にたくさん触れたいと思うし、触れれば何かを感じる。(音楽から「逃げて」いた時期は、あまりCD等も聴いていなかった。) 特に最近感じることは、他の人のライブを聴きに行くと、無意識に自分の立ち位置を確認しているというか、演奏している人が自分からどのくらいの距離にいるのか3Dで目測しているような気がする。つまり、何を観ても聴いても、他人事じゃないってこと。目測した上で、あ、まったく興味ないな、と判断した時点で他人事になるのだろうが。 けっこう疲れますわな、そういうの。楽しいけど。生きてる!ってかんじはするけど。 自分を常に意識してるってことだからね、、、「あたしはこう、あの人とは行きたい場所がちょっと違うね」とか「あの人スゲー、ワタシしょぼい、、」とか、度が過ぎると健康を害しそうだ。 ちょっと長くなるけれど、過去の話をします。 私は18~19歳の頃から4年ほど東京に住んでいて、その頃はシンガーソングライターとしてプロになりたいと思っていた。 その後まあ色々あって、精神的にも限界が来て、実家の事情とかもあって、故郷の和歌山市に帰った。 その時、私は必要を感じて「変わろう」として、実際、家族が驚くくらい「変わった」。 どう変わったかというと、「つねにハッピー」であり、そのために「ちょっとレイジー」。 (厳密にはもちろん、常にハッピーとかありえないんだけど) 音楽も、プロになるというチョー厳しい目標から解放され(つまりは諦めて)、ブラジル音楽(特にMPB)にも挑戦しはじめて、演ってみたらこれはこれはハッピーになれる音楽で、バンドを作って「仲間」ができたら人前にでるのも怖くないしリハーサルも楽しかった。 家族と一緒に住んで、朝早く出て夕餉前に帰れる職にも就いて、バランスのとれたイイ生活だった。 でも、「これでいいのだ(byバカボンパパ)」と、自分で言い聞かせていた、という点は無視できない。 音楽に対して、「100%本気」じゃないってこと、あえて本気を出しつくさない、興味があっても(銭も足りないので)ブラジル音楽に対してもあまり開拓していかない、そんな自分がちょっと嫌で、一方、それが私が学んだ私の器に見合った生き方なんだ、とも考えていた。 バンド(歌ギターの私と、あとドラマーのにーちゃんと、べーシストのおっちゃんのトリオ)も、基本は楽しくやることを優先して、演奏の向上にカリカリしない。疲れると嫌になるので、隣の大阪までライブしに行こうと思えば出来たけど、和歌山から一歩も出ない。「楽しいからやってんすよ、自分コレで満足っすよ」と井の中の蛙に甘んじていたし、まあ井の中だから安心してブラジル音楽なんて大それたことに挑戦できた、それも楽しみつつ、という点も否めない。 精神活動?的にも、「思いつめない」ことを優先して、それは色んな面で効を奏したのだけど、なんというか、「自分の脳ミソのある部分を自分で蓋しているんだ、もしくはネジを緩めているんだ」という感覚は、すこし不快な感覚はいつもあった。 ぬるい井の中に浸かっている自分がとてもハッピーで家族も安心してくれる?ということは凄くイイことなんだけど、心のどこかで自分の過去を否定し、「音楽で飯食ってくんじゃ!」と息巻いていた若かりし自分を恥じて、夢を諦めた自分を褒めつつ卑下しつつ、私みたいに勝手な生き方を選択せず我慢して学校生活を送り大学まで出てリッパな職に就いている元同級生達に対して「私は負けました、力およびませんでした、その報いでこんな続けていても給料の上がらない仕事にしか就けません、でもいいの、楽しく音楽やってりゃ、私はハッピーで和歌山のセッションバーで飲んだくれのオッサンらと口論している生き方を今は選んでいます」と心の中で言ってた。 いうなれば「条件付きハッピー」。 …その後、私は電撃的に結婚して和歌山を離れて海外に移住したため、バンドは解散、また別の生活が始まり、音楽から離れた5年間を過ごすことになるのだが… ここでまた、音楽活動を始める、この東京で、となると、和歌山にいた頃と同じアティチュードではいられない、と今は思う。 こんな刺激的な都市で、心意気が蛙のままでは、もったいないっていうか… …この文章で私の言わんとしていることが伝わるのか、正直自信がなくなってきたんだけど、 話を過去から元に戻すと、 「リラックス」して「ハッピー」でありたいんだけど、 以前、故郷にいたころのような方法で、頭のネジを一本緩めて「レイジー」でいることで「ハッピー」を得たくない、 せっかく夫のおかげで東京に住めるのだから、今度は「本気」(本気と書いてマジと読む)でやりたい、 と思っていて、 「本気」になると、それだけ苦しみそうだ、 それでも、何かのテクニックを使って、「リラックス&ハッピー」状態を得たい、 と考えている、という話でした。 長い…、わかりにくい…。 この「何かのテクニックを使って、「リラックス&ハッピー」状態を得たい、」という欲求が、 前回の記事で触れたワークショップ「徳久ウィリアム&たむらひろし の”快楽”ボイストレーニングゼミ」の受講動機の一つであるんだけど、 この先の話は長くなるのでまた次回! #
by agatha2222
| 2013-01-20 22:45
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今朝は休日、たっぷり寝るつもりだった。少なくとも午前10時くらいまで。でも実際には、夫が朝早く家を出るドアの開け閉めの音(それも何故か何度も)で目が覚めてしまい、そこから二度寝できなかった。こういうことは多々ある。もっと眠りたいけど眠れないジレンマにもやもやしながら、布団の中に潜って借りてきた映画DVDを観つつ、「面白い、眠い、情報をシャットダウンしたい、でもなんだかボケっとできない」という状態から抜け出すために、お腹がすいていないのにモノを食べたりして頭が起きるのを促すことにした。
ところで昨晩、面白いワークショップを受講した。(後々に詳しくメモるつもり。) そこで学んだことを生かそうと、いつもなら「あーあ、上手く休めない、せっかく時間をおいたのに、辛いな」で片づける今朝の自分と状況について、もう少し考えてみた。 物音がして目が覚めてしまうのは仕方がない、これくらいの物音では目覚めないタイプの人もいるだろうが、今朝の私はその音で目が覚めてしまった。そのことに関しては、何も悪くない。 で、そこからまた入眠できなかったのは何故か。ムカついたからだ。 「起こしやがって!私は疲れているのに!」と思ったからだ。 とても自分勝手な反応であることは解っているので、むろん後から「うるさかったじゃない!」とか言わないしキレないのだけど、その時点で少しムカついたのは事実だ。 そんなことでムカついて、自分、損してないか?馬鹿じゃないのか? 「だってムカつく状況だったのだもの!」 いや、その状況で「ムカつく」ということを選択しているのは他でもない自分なんだから、自分が本当に変わりたければ変われるのでは? 性格というのは、状況に対する対処の仕方の癖みたいなもの。 対処法の選択肢は多い方が生きやすい。 多様性があったほうが生きやすい。 「変わりたい」といいながら変われない人は、自分で壁を作っている。 「私はこういう人なの」という過去の自分のパターンにしがみついている。 何故だろう?過去をなぞらえるほうが脳ミソ的に楽ちんだからか? アイデンティティ(だと自分が思っているもの)が失われるのが怖くて、それを精いっぱい自分で肯定するために、自分の嫌なところも、本当は自分で凄く大事にしている。 そうだ、そうだな。 つまんねーことしてるな。 「変わろう」としても、自分が今までに獲得したものが失われるわけではない。 多様性を身につけるために、ちょいと変えてみよう、くらいに言ったほうがライトでいいかもしれない。 外国語を学んだからといって日本語を忘れるわけじゃない。 毎日標準語を話しているからといって方言を忘れるわけじゃない。 ちょっと、実験してみようと思う。 優しい気持ちで人と、物事と接してみる。 それが自分にも跳ね返ってくるだろう。 ...慢性的な肩コリさえ、それで改善するかもしれない? 優しさ、と、エレガンス(笑)、、、少しでいいから。 #
by agatha2222
| 2013-01-19 12:17
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はじまりはこうだ。
「私はこんな音楽を作ります、歌を書きます」という名刺代わりになるような「弾き語り」をちゃんと、できるようになりたい、また継続的に演奏したい、という私から私への使命がある。強い使命が戻ってきた。 そして、「私が作る」だけではなく、「ブラジル音楽」という広大な土地を少しずつでも開墾していきたい、人と出会い・彼らの心を、音楽を借りて、この土地で飛び跳ねたい。セッションに参加して、音楽で繋がる喜びを得たい、その喜びを糧にたくさんのことを学んでいきたい。 でも、それ以外に何かできないか、と考えていた。 私にとって、そもそも音楽とは、表現することとは、なんなのだろう。 なぜ、こんなことやってるんだろう。 私以外、誰も望んでいないのに。 私が作詞や作曲を始めたのはたぶん14~15歳くらいの頃で、最初は詞だけ書いていた。短歌とか、作っていた。 そんなことで将来食ってけないことはわかっていた。でも、表現したかった。 心の中がお喋りすぎだったから。 楽器は一応、ピアノちょっととバイオリンを11歳まで習った。 ピアノの課題曲は3歳上の姉が先に弾いているのを聴いていて、バイオリンは有難くも(結果的には迷惑にも?)母が教則本付属のCDを買ってきてくれたので、耳から曲を覚える癖がつき、楽譜を読むことが異常に苦手だった。 それだけが理由ではないが、好き勝手に弾くのは好きでも肝心の練習はろくにせず、劣等生のまま辞めてしまった。 そんなダメな生徒でも、音楽、というか音楽家・芸術家への憧れは、本当に幼いころからあった。 でもそんなダメな生徒だってことは早い段階で自覚していたから、演奏家にはなれないし、自分で演奏できない曲は作曲できないから作曲家も無理、(さよならベートーベン)と諦めていた。思い返すととても現実的なチビで、チビの癖に焦っていたと思う。 家の隣にピアノの先生の家があり、自分と同じ年齢(5歳)の先生の娘さんが毎朝ピアノの練習をしている音が、先生のヒステリックな叱責と娘さん(=友達)の泣き声とともに聴こえてきて、私にはあんな世界は無理、あの娘は特別、音大に入るため頑張ってるんだな、凄いな、でも私はどう転んでも無理、イヤ、何か別のことをするしかない、とか考えていた。 小学校高学年になると、姉が主に90年代初頭のUKロックやブリットポップと呼ばれるジャンルの音楽を聴きだした。私もそのおこぼれに預かっていた。初めて自主的に、「私のためにテープにダビングして」と頼んだのはKate Bushの"Red Shoes”だった。 ギターは、父親が若いころに買った(その頃、流行ったんだよね)安っちいクラシックギターが家にあって、バイオリンを辞めた後くらいから触り始めた。 この世に「コードブック」や「タブ譜」なるものがあるということも知らず、好きな曲に合わせて「ドミソ」や「ドファラ」の和音を出せば伴奏になる、ギター弾いて歌えるやん!!と発見したときは、大発明したような気になった…。 そして中学二年生に上がったばかりの頃、事件が起こる。 ビートルズとの出会いだ。 昔から家には、the Beatlesの"Help!"とJohn Lennonの"Imagine"だけ、CDがあってカーステで聴いてはいたけど、幼いころ見てたポンキッキでBeatlesの音楽が使われていて、そのメンバーはリンゴとかレモンとか、果物みたいな名前で、もう死んじゃったメンバーもいて、すーっごく昔のグループなんだ、という認識しかなかった。 どうやって「出会った」かというと、中学で「基礎英語」というラジオを家で聴け、という宿題があって、でも家は(別に田舎だからってわけじゃなく)なぜかラジオがクリーンに入らなくって、さらにそんなやったかやらなかったか証拠が要らないような宿題やる必要もないから、中学1年の時は全く聴いてなかった。で、2年に上がって、新しいテキストが配られた際にそれをパラパラと読んでいたら、"Yesterday"の歌詞が載っていた。 "Yesterday”は、13歳の私も知っていた。オルゴールを持っていたから。ステキな曲よね、で、歌詞を読んだら、こんなに切ない話だったの??っと興味を抱いた。どのアルバムに入ってるんだろう?"Help!"?なんだ、家にあるやん!ということで、"Yesterday"を改めて、聴いた。(結局ラジオではなくCDで) 胸が殴られたように響いた。 それから、Beatlesを聴き始めた。 中学校のクラスで、ひとりだけBeatles好きの子がいた。(凶暴で変わった子だった。後に私たち二人とも高校を止めてしまう。) 彼女にいわゆるベスト盤である青盤・赤盤を借りて、テープにダビングして、それこそ擦り切れるまで聴く日々が始まった。テスト前でもステレオの前に噛り付いていて、母親に怒られた。 憧れた。きっとビートルズ好きはみんなそうだろう、「彼らになりたい」と思った。 「歌」というフォーマットで、こんなに広くて深くて色彩豊かな表現ができるのだ、と気づかされた。 「歌」を作るしかない、と決めた。 (つづく) #
by agatha2222
| 2013-01-18 15:52
| Project Beatlish
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シュガーラッシュ
ドキドキする ランゲルハンス島 応答せよ 雲が晴れる 脳が冷える 指先が押し詰まる 落ち着いて 落ち着いて 混乱と閃き 交通整理をしよう 右は東、左は常識、 明日は南に、北には家族が カフェインとテオブロミン チカチカする 眠れやしない 眠れやしない フォーミュラの中のフォーミュラ 細胞の中の細胞 サイボーグの方の最期 シュガーラッシュ ベタベタする 水で薄めてあげなさい Trinken Sie, trinken sie ヘモグロビンの泡 鼓膜の中の水 瞳孔拡張そして充血 上がったり下がったり 願ったり叶ったり 出鱈目なタラの芽 ひょうたんから駒 シュガーラッシュ ウィスキーと白砂糖 インスリン 早く来て 早く助けて 私はどこにいる? 水で薄めてあげましょう おかえりなさい 心拍数70 平常運転 #
by agatha2222
| 2013-01-14 00:33
| Prose/Lyrics/Stories
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「弾き語りを基本に生きてるシンガーソングライターです」とプロフィールに書いていながら、踊りに関することばかり書いているのはいかがなものか、、とも思うが、踊ることも音楽を作ることも、始まるところは同じだと思っている。それに、音楽のほうが踊ることよりも私にとっては歴史が長いので、踊りのほうが軽々しく?書きやすいのかもしれない。まあ、そんな話はどうでもいいんですが。
1/11、初めてGAGAという所謂ダンスのフリーインプロ?のようなクラスを受けた。 GAGAついては下記URLを参照ください。 http://gaga-japan.org/aboutgaga/pg83.html …前々から予定して受けたクラスではなく、イスラエルのダンスカンパニー、バットシェバ舞踊団芸術監督・オハッド・ナハリン氏が振り付けた作品「Humus」をとあるスタジオで上演する(踊るのは、ワークショップに参加した希望者達、プロダンサーっぽい人もいれば、そうでない人も)、観覧無料、上演後、GAGAというバットシェバ舞踊団で日常的に行われているトレーニングのクラスを開催する、、という情報をTwitterで入手し、もろもろの予定を変更して行ってきたのです。 私の勘は当たった。 「Humus」も凄く面白かったし、なんといってもGAGA。。 スタジオの鏡は白い布で覆われている。自分の動きに集中するため、というか「自分がどう観えるか」を気にせず、自分が動きたいように動くため。 在るのは音楽と、先生がくれる言葉のガイダンス、そして一緒にこの時間と空間を共有して、でもそれぞれが動きたいように動いている「集団」。 ワンレッスン90分で、ウォームアップとクールダウンのような穏やかに動く時間を除けばずーっと動きっぱなし、ときに走り回り跳び回り、ロックンローラーのようにシェイクして、声もだす、でもまったく疲れを感じない。(疲れは翌日来ました…。)もっとずっと踊っていたかったくらい。 上手いも下手もない、正しいも間違いもない、美しいも汚いもない、圧倒的な自由の中でどんどん深いところに埋まっている自分が出てくるようなカタルシスを感じた。 私は、チャンスあらば「キレたい」と思っている。 (いわゆる長州力が言うところの「キレる」じゃなくて) 馬鹿笑いしたい。(酒とかは飲まずに) 自分の中に居ながら遠い世界を旅したい。 深い自分を引き出したい。 快感に叫びたい。 何もないところから音楽が生まれるとき、キレてるのかもしれない。 いや、キレてるというか、むしろ「繋がって」いるんだろうか。 以前、インドの叡智・ヴェーダ瞑想について少し教わったことがある。 教わった通りに瞑想し、つまり心のおしゃべりが止むまで待って、自分の中に晴れ渡った空を観たとき、、、 みんなココから生まれた、という大いなる魂=神の塊りの一部なんだ、私は…という感じがした、、、 (いや、そう教わったからそう感じただけかもしれない。) とにかく気持ちがよくて、「わけのわからない寂しさ」が消えた経験がある。 魂やら神やらという言葉が胡散臭ければ、左脳のおしゃべりを止めて右脳が目覚めるというかんじだろうか。 ジル・ボルト・テイラーという、自身が脳卒中を経験し、壮絶なリハビリから回復した神経解剖学者の体験をつづった「奇跡の脳」という著書を読んだことがあるが、この著者の場合、左脳の大部分が脳卒中でダメになってしまった後、話すことも含めてさまざまな事が出来なくなってしまったのだが、同時にものすごい幸福感と深い安らぎに包まれていたらしい。 理性から手綱をキって、固体が気体になるように、大きな世界に溶け込むということか。 (=キレる=ツナガる) だとすれば、自分自分なんていってるが自分なんてハナからないのだろう。 氷をつくる製氷機の四角い容れ物の一角でしかないのだろう。 …話がわけのわからないところにまで脱線したが、まあ踊りまくって快感、というのは一言でいえばトランス状態なんだろうな。 「ライブ」パフォーマンスとして何かを演る場合は、演奏をコントロールしつつ心はトランスにも入る、ということが出来れば最高かな、と思う。 トランスは楽しいがコントロールは難しい。コントロールは要訓練、要鍛錬。要練習。 自由は素晴らしく、解放は待ち望んでいたものだけど、それだけではパフォーマンスにはならないという当たり前の結論で〆たいと思います。 さらに、GAGAクラスの後、急いで次のガフィエラのクラスを受けに走ったため、靴下を片方スタジオに忘れてきてしまったようです。しかもちょっと新しめの靴下…帰りみち、片足裸足でたいそう寒かった、という話でした。 #
by agatha2222
| 2013-01-13 13:38
| Dance
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